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この記事の3つのポイント
先週と今週、「海」と「水」について7回にわたって書いてきました。
先週の「海」シリーズでは、
そして今週は、国連大学の「水破産」レポートを通じて、水が「元に戻せない」段階に入りつつあるという診断と、それでも何ができるかを考えてきました。
7回分の話を頭で整理してくださった読者の方に、今日は少し違う角度からお話をしたいと思います。
制度でもフレームワークでもなく、「牡蠣」の話です。
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先日、銀座SIXのオイスターバーに行きました。
おいしい生牡蠣をリーズナブルにいただけるお店です。
ふと目をあげると、お店のスタッフの方のTシャツにこう書いてありました。
「8th.sea」
七つの海なら知っています。
でも、八つ目? 気になって調べてみると、これは牡蠣ブランドの名前でした。
富山湾の海洋深層水を使い、48時間以上の「かけ流し」で牡蠣を浄化する技術から生まれたブランドで、「世界の七つの海のどこにもない、理想の海を人工的に作る」という意味で「第8の海」と名乗っているそうです。
なぜこのブランドが生まれたのか。
その答えは、牡蠣という生き物の性質にあります。
牡蠣は海水を濾過して栄養を得る生き物で、1時間におよそ20リットルの水を体内に通します。
1日でおよそ400リットル——浴槽2杯分です。
つまり、海の状態をそのまま体内に取り込んでしまうのです。
宮城県気仙沼でカキ養殖を営み、長年にわたって「森は海の恋人運動」を率いてきた漁師・畠山重篤さんは、こんな言葉を残しているそうです。
カキが『メシがまずい』と言い出したら赤信号。
海と川の流域に何かあったということです。
(出典:日経電子版 2025年12月26日「春秋」)
牡蠣は、環境の異変を最初に体で受け取ります。
その意味で牡蠣は、海の「センサー」です。
そして今、そのセンサーが鳴り始めています。
2024年から2025年にかけて、国内最大の牡蠣産地である広島県をはじめ、瀬戸内海各地で牡蠣の大量死が相次いで報告されました*1。
生産者からは「こんなことは経験したことがない」という声も上がっています。
原因としてあげられているのが、「貧酸素化」です。
海水中の溶存酸素が著しく低下する現象で、気象庁の観測データによれば、日本近海での貧酸素水塊の発生は近年増加傾向にあります。
水温の上昇により表層と深層の水の混合が妨げられ、底層付近で有機物の分解が酸素を消費し続ける——気候変動が引き金となる連鎖です。
ここで畠山さんのもう一つの洞察が重なってきます。
森の腐葉土から生まれるフルボ酸が鉄と結びつき、川を通じて海に届き、植物プランクトンを育てる。この「陸から海への連鎖」が乱れるとき、海は静かに痩せていく。
畠山さんが「森は海の恋人」と言い続けてきたのは、そういう話でした。
陸での行為が、時間をかけて海に届く。気候変動は、その連鎖を複数の場所で同時に攪乱しつつあります。
ワインの世界に「テロワール」という概念があります。
土壌、気候、水、微生物——その土地固有の環境が味を決めるという思想です。
牡蠣にも同じことが言えて、広島の牡蠣、三陸の牡蠣、厚岸の牡蠣と、海域そのものがブランドになる。どこで育ったかが、品質の証明でした。
しかしながら、貧酸素化が進む海では、「どこで育ったか」が品質の保証にならなくなりつつあります。
テロワールの前提——その場所の環境が安定して続くこと——が、崩れ始めています。
「第8の海」は、この文脈で見ると意味が変わります。
理想的な海の条件を分解し、組み直し、人工的に再現する。
それは単なる技術革新ではなく、崩れゆくテロワールへの応答として読むことができます。
つまり、テロワールの基準が、地理から設計へと移りつつあるのです。
水破産シリーズ最終回で、私は、こんなことを書きました。
「水そのもの(プロダクト)ではなく、水を生む仕組み(プロセス)を守る視点が不可欠だ」と。
今週、牡蠣の話をしながら、同じ問いが海にも当てはまることを改めて感じています。
広島の牡蠣大量死は、牡蠣というプロダクトの問題ではありません。貧酸素化は、牡蠣を育てていた海のプロセス——水温、水の循環、生態系のバランス——の問題です。畠山さんが守ろうとしていたのも、カキそのものではなく、カキが育つことのできる海の仕組みでした。
第8の海は、そのプロセスを人工的に再設計しようとしている。ある意味で、これは「破産した海」に対する「破産管理」の一形態とも言えるかもしれません。
ならば企業の開示において問われるべきは何でしょうか。
先週の海の連載(①「海は遠い問題?」〜④「まず何から見ればいいのか」)では、自社と海の接点を調達・物流・排水・包装材という軸で整理しました。それは「何をどう開示するか」という問いです。
しかしその一段下に、もう一つの問いがあります。
御社が依存している海の「プロセス」は、健全なのか。
どの海域に、どんな形で依存しているのか。
そしてそのプロセスが壊れつつあるとき、開示の言葉はそれを正直に語っているか。
畠山重篤さんはこう書き残しています。
「人類が生き延びる道は明白だ。生ガキを安心して食べられる海と共存することである」と*2。
「生ガキを安心して食べられる海」とは、健全なプロセスが続いている海のことです。
その海を語る言葉を、自社の開示の中に持っているかどうか——銀座の地下でTシャツに目をやったあの瞬間に見えていたのは、そういう問いだったのかもしれません。
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本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
*1 出典:日経電子版「瀬戸内カキ大量死、沿岸部経済に影響広がる 広島県300億円損失も」(2025年11月26日)
*2 出典:みんなのミシマガジン 第37回『「森は海の恋人」カキじいさんの旅立ち』(2025年5月1日)
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。