この記事の3つのポイント
前回は、国連大学のレポートが「水危機」ではなく「水破産」という言葉を使う理由を見ました。水破産とは、単に水が足りないという問題ではなく、足りなくなったうえに、立て直しの原資となる自然資本そのものが損なわれた状態でした。
では、なぜ「元に戻せない」と言い切れるのか。
今回はレポートが示すデータの中から、「戻れない」の意味を物理的なメカニズムで読み解きます。
---(以下は、レポートの内容をわかりやすくまとめています)ーーー
地球には、降水や河川の流れ(いわば「月々の収入」)だけでなく、長い時間をかけて蓄えられた水の「貯金」があります。地下水を蓄える帯水層、山岳地帯の氷河、そして湿地。これらは人間が意識しなくても、水を貯め、浄化し、必要なときに供給する仕組みとして機能してきました。
レポートが突きつけるのは、この「貯金」が世界規模で取り崩されているだけでなく、貯める仕組みそのものが壊れ始めているという事実です。
世界の主要な帯水層の約70%が、長期的な水位低下の傾向にあります。地下水の過剰な揚水による地盤沈下は、世界の陸地面積の約5%、約20億人が暮らす地域にまで広がっています。
問題は、水位が下がっただけではありません。
地下水を抜きすぎると、水を蓄えていた地層の隙間が自重によって押し潰されます。これは物理的な変形であり、後から水を流し込んでも、元の容量には戻りません。
財務にたとえるなら、口座の残高がゼロになったのではなく、口座そのものが小さくなってしまった状態です。同じ金額を預け直すことが、もうできない。
これがレポートの言う「破産」の具体的な姿の一つです。
氷河は、冷涼な季節に降った雪を氷として蓄え、温暖な季節に少しずつ融かして下流に届けてくれる、いわば天然の貯水・配水システムです。アジアやアンデスの山岳地帯では、数億人がこの仕組みに生活用水や農業用水を依存しています。
レポートによれば、1970年以降、世界の多くの地域で氷河の質量が30%以上失われています。
ここで厄介なのは、「ピーク・ウォーター」という現象です。
氷河が融けている最中は、一時的に下流への水の供給量がむしろ増えます。水が豊富に見える時期がある。
しかしこれは、定期預金を解約して当座に回しているようなもので、元本が尽きれば供給は急減します。現在の気候条件下では、一度失われた氷河が人間の事業計画や政策の期間内に再形成されることはありません。
いま水が増えているように見える地域も、やがて減少に転じる。その転換点がいつ来るかが見えにくいことが、この問題をいっそう難しくしています。
湿地は、水を貯め、浄化し、洪水を緩和し、多様な生物を育む、いわば自然界の多機能インフラです。レポートは湿地を「水循環の衝撃吸収材(ショック・アブソーバー)」と呼んでいます。
過去50年間で、世界の天然湿地は約410万km²失われました。これはEU全土に匹敵する面積です。失われた生態系サービスの価値は年間5.1兆ドルに上り、世界で最も貧しい約135カ国の合計GDPに相当するとされています。しかも湿地は森林の3倍の速度で消失しています。
一度農地や市街地に転換された湿地は、その多機能な働きを取り戻すことがきわめて困難です。遊水池や浄水施設で個別の機能を部分的に代替することはできますが、湿地が一体的に担っていた貯留・浄化・緩衝・生物多様性維持の統合的な役割は、人工物では再現できません。
レポートはさらに、量の問題だけでなく「質の劣化」にも繰り返し警鐘を鳴らしています。
汚染や塩水化によって、帳簿上は水量が十分に見えても、実際に飲料や灌漑に使える水が縮小しているケースが世界中で増えている。レポートの表現を借りれば「名目上は水があるのに、使える水がない」状態です。
量だけを見ていると、この「質の破産」は完全に死角に入ります。
こうした劣化が都市規模で複合的に表面化した事例も出ています。
ケープタウンやチェンナイでは、蛇口から水が出なくなる「Day Zero」が現実の脅威となりました。緊急対応で回避できた都市もありますが、根底にある水系の劣化そのものは解消されていません。
---(以上は、レポートの内容をわかりやすくまとめた内容です)ーーー
レポートが示す3つの理由──帯水層の圧密、氷河の消失、湿地の消滅──に共通するのは、いずれも物理法則や気候条件に根ざした問題であり、予算や政治的意志だけでは覆せないということです。
だからこそ、必要なのは「元に戻す」戦略ではなく、「制約の中で再設計する」戦略です。
では、その「再設計」とは何を意味するのか。
次回は、レポートが「破産管理(bankruptcy management)」と呼ぶ発想と、それがサステナビリティ担当者様の実務にとって何を意味するのかを考えます。
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本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。