この記事の3つのポイント
MSCIのポッドキャスト「Sustainability Now」に、「Don’t Build a Stadium There!」と題されたエピソードがあります。2026年ワールドカップの会場が直面する物理的な気候リスクを論じた回で、詳細はぜひ直接お聴きいただきたいのですが(リンクはこちら)、筆者がとくに引っかかったのは、スタジアムという身近な資産を入り口にして、インフラの立地判断と気候リスクの構造的な問題がくっきり見えてきた点でした。
本記事では、このポッドキャストから得た着想を出発点に、筆者自身の問題意識である「水リスク」への接続を考えます。
スタジアムは数十年にわたって使われる資産です。
これは当たり前のことのようでいて、リスク管理の観点では本質的な問題を含んでいます。建設時に想定した気候条件と、その生涯を通じて実際に直面する気候条件が、もはや同一とは限らないからです。
今日の「100年に1度」の洪水が、数十年後には25年に1度になるかもしれない。頻度だけでなく強度も変わる。その変化を織り込んだ設計になっているかどうかで、修繕費を吸収するのがオーナーなのかコミュニティなのかが分かれます。
そしてこの「時間のズレ」を金融市場がどこまで織り込めているかも、まだ問われている段階です。2023年のデューク大学の研究では、70万件超の自治体債を調査した結果、気候リスクの高低で借入金利にほとんど差がないことが示されました。
保険の側でも、フロリダ州セントピーターズバーグ市がトロピカーナ・フィールドの保険を大幅に削減した7カ月後にハリケーン・ミルトンで屋根が損傷し、保険でカバーされた額をはるかに超える修繕費が発生した事例が、広く報じられています。
「過去が未来のガイドになる」という前提で設計・保険・投資が動いてしまう構造は、スタジアムに限った話ではありません。
スタジアムが直面する物理的リスクの中で、水リスクの観点からとくに注目したいのが地盤沈下です。
地盤沈下は、地下の土壌条件や地下水の変化によって引き起こされる地表面のゆるやかな沈降であり、建築物の基礎や排水系統、さらには構造的な健全性に影響を及ぼし得ます。
ここで重要なのは、地盤沈下のドライバーとして「地下水の変化」が含まれている点です。
これは以前の記事(「日本は水が豊富という前提が揺らいでいる」)で述べた、熊本における地下水利用と半導体工場の関係と通底する構造です。物理的リスクとして語られる地盤沈下と、水資源として語られる地下水の問題は、実は同じ地面の下でつながっています。
ここからは、筆者独自の視点です。
スタジアム/アリーナが気候リスクの実験場であるならば、それは同時に通信の実験場でもある、というのが筆者の問題意識です。
日本では2025年7月に開業したIGアリーナ(名古屋)で、NTTドコモが世界初のAPN IOWN、ミリ波基地局、Wi-Fi 7を実装しました。数万人が同時に撮影し、配信し、決済する環境で通信品質を確保する——この取り組みは、アリーナを「通信のピーク負荷を計測・最適化する場」へと変えています。
名古屋ではさらに三井不動産×豊田通商×KDDIが「(仮称)名古屋アリーナ」を着工し、静岡ではドコモを代表企業とするグループが東静岡駅前アリーナの運営事業者に選定されました。通信キャリアが、アリーナの設計段階から運営・決済・データ基盤を一体で握りにいく動きが、東海圏だけでもこれだけの密度で起きています。
体験が高度化し、成功するほど需要は増えます。高精細配信、マルチアングル、AR演出、会場内の行動ログ、決済の即時化——「場」がOS化していく。
ただ、ここで起きる負荷の本体は、会場の中だけには留まりません。
ピーク負荷は、会場の外側に押し出されます。
データセンターは電気を消費します。そして、熱を捨てるために冷却が必要になります。
水は、その冷却の文脈で登場します。
もちろん、すべてのデータセンターが大量の水を消費するわけではありません。冷却方式によって大きく異なります。
ただ、「水の指標(WUE:Water Usage Effectiveness)」という概念がすでに業界標準として一般化していること自体が、水が”コスト項目”ではなく”制約条件”として認識され始めていることの表れです。Microsoftは自社データセンターの平均WUEを0.30 L/kWhと開示しており、これは2021年の0.49 L/kWhから39%改善した数字です。
加えて、そもそも需要側が急激に伸びています。IEAは2025年4月の特別報告書「Energy and AI」で、データセンターの電力消費が2024年の約415TWhから2030年に約945TWh(日本全体の年間電力消費量に匹敵)へ倍増する見通しを示しました。2024〜2030年で年率約15%成長という計算です。
つまり、アリーナが通信の実験場として「成功」すればするほど、処理・配信・推論の負荷が増え、電力が増え、冷却が必要になり、立地によっては水がボトルネックになる。
ここで重要なのは、「水問題」が”データセンターそのもの”の話だけでは閉じないという点です。
水は、電力の供給側(火力や原子力発電の冷却等)にも組み込まれています。仮にデータセンター側でオンサイトの水消費をゼロに近づけたとしても、電源ミックス次第では別の場所で水負荷が増える可能性があります。見えにくいですが、確実にインフラ全体の話です。
「Don’t Build a Stadium There!」は、立地と長期リスクの話でした。
ですが、同じ問いはデータセンターにも当てはまります。
水ストレスの高い地域に、蒸発冷却前提の巨大設備を集積させる。あるいは、電力網が逼迫している地域に需要だけを積み上げる。そうした”立地の判断”は、スタジアムと同じく、完成した後に取り返しがつきにくい性質を持っています。
IEAも上述の報告書で、送電インフラへの投資が追いつかなければ計画中のデータセンターの約20%が遅延するリスクがあると指摘しています。
もちろん、技術は動いています。
Microsoftは2024年8月以降のすべての新規データセンター設計において、冷却に水の蒸発を使わない「ゼロ・ウォーター・エバポレーション」方式を採用すると発表しました。閉ループの液冷技術で、稼働開始後は外部からの水の補給が不要になるという設計です。1施設あたり年間1.25億リットルの節水効果が見込まれるとされ、2026年にアリゾナとウィスコンシンでパイロットが始まる予定です。
つまり答えは、悲観でも楽観でもありません。問うべきは設計です。
スタジアムに当てはまった「建設時の前提≠運用時の現実」という構造は、データセンターにもそのまま当てはまります。建設時の水環境と、その生涯を通じて直面する水環境は、同じではないかもしれません。
ここまでの話を、サステナビリティ開示の実務に引き寄せると、次のような視点が見えてきます。
■「通信の高度化」は、水リスクのドライバーとしてまだ認識されにくい
アリーナのDX化やAIの普及は、多くの場合「事業機会」あるいは「DX戦略」の文脈で語られます。しかしその裏側で、電力需要→冷却需要→水需要という連鎖が動いています。自社がデータセンターを直接運営していなくても、クラウドサービスの利用拡大を通じて間接的にこの連鎖の中にいる企業は少なくありません。
■「どこに建てるか」という立地判断が、水リスクの開示と接続し始めている
同じ種類の資産でも、立地が違えばリスクの構成は変わります。データセンターの水ストレス地域への集中立地を投資家やESG評価機関がどう評価するかは、今後の注目点になると考えられます。
■地盤沈下の背後にある「地下水」は、水リスク開示の盲点になりやすい
物理的リスクとして語られる地盤沈下と、水リスクとして語られる地下水の問題は、実務上は別々のセクションで扱われがちです。しかし両者は構造的に接続しています。開示においてこの分断がないか、一度点検してみる価値はあるのではないでしょうか。
■水リスクの開示は「自社の節水量」だけでは足りなくなっている
以前の記事(「日本は水が豊富という前提が揺らいでいる」)でも述べたとおり、水の開示で求められているのは、流域の状況や地域の水利用構造を踏まえた説明です。データセンターの冷却に水を使っていない場合でも、電源の冷却や地域の水収支にどう影響するかまで視野に入れなければ、説明として十分とは言えなくなりつつあります。
アリーナは、人を集めます。感情を集めます。データを集めます。
そしてその裏側で、電力と水も集めてしまいます。
「アリーナは都市OSだ」と語るとき、その都市OSは、都市インフラの”水脈”まで含めて設計されているでしょうか。
「スタジアムをそこに建てるな」という警鐘は、気候変動の文脈から発せられたものです。
ですが、デジタルインフラの拡大が進む中で、同じ問いが「データセンターをそこに建てるな」へと拡張されつつある——その構造変化を、いまのうちから視野に入れておくことには意味があるように思います。
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今週もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、来週のブログで。
執筆担当:川上 佳子
参考資料
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。