この記事の3つのポイント
本記事は、2026年2月6付ブログ記事『「感動しました」で止まらない開示設計――冬季オリンピックをきっかけに考える説明責任のかたち』の続編です。
未読の方は、あわせてご覧いただくと、より理解が深まります。
先日、あるサステナビリティ担当者さまとお話していたとき、こんなご発言がありました。
データポイントを揃えること。
比較可能性を確保すること。
第三者が検証できる足場を作ること。
——それ自体は、大切だと分かっている。
でも、
そうやって要求に応え続けるうちに、
「これって、誰かの心を動かせているんだろうか」という疑問が生まれる。
その疑問はだんだん大きくなり、
やがて、サステナビリティ開示に携わる方々のやりがいを少しずつ損なってしまう——
そのような葛藤を正直にお話しくださったのだと思いました。
そんな葛藤をお聞きしたあとに向かった、アーティゾン美術館。
現在開催中の「クロード・モネ— 風景への問いかけ」展(大混雑でした!)で、セクション3のハイライトとなっていたのが、モネの《かささぎ》という作品です。
《かささぎ》とその周辺─雪の色
モネは画家としての生の中で幾度も雪からインスピレーションを受けて作品を描いています。1869年に描かれたく《かささぎ》には、桃色や紫がかった葉、青みを帯びた灰色の垣根や黒いかささぎの影など、そこかしこに白という色についてのモネの探求の成果があらわれています。雪の積もった景色は、視界の凹凸を平滑にしてしまいますが、モネはここで浮世絵の雪景と同様に、繊細な色彩の面を重ね合わせることによって見事に奥行きを表現しています。
出典:アーティゾン美術館ホームページ 「クロード・モネ— 風景への問いかけ」 展覧会構成
ですが、《かささぎ》という作品であるにもかかわらず、
私は、その絵の前にいるあいだ、ほとんど「かささぎ」を見てはいませんでした。
画面を覆う雪に、目をくぎ付けにされていたからです。
青みがかった影、薄紫のかすかなにじみ、
遠景の農家が帯びるかすかな暖かさ。
近くに寄れば寄るほど、「白」のはずの画面が、
複雑な色彩の集積であることに気づかされます。
そして、そのことに気づいた私は、雪を凝視せずにはいられませんでした。
ここで少し、美術史の話をさせてください。
近年の絵画技法研究によって、モネが1875年に描いた《散歩》や1880年の《セーヌ河の日没、冬》の白には、自然光(紫外線)によって蛍光発光する顔料が使われていたと考えられています。
シルバーホワイトやジンクホワイトに、蛍光発光する白亜(炭酸カルシウム)を混ぜることで、屋外の自然光のもとで絵画全体が文字通り「発光する」効果を生み出していたのです。
モネの《かささぎ》が描かれたのは、1868〜69年。
この蛍光発光の技法が確認される作品より、およそ6〜10年前です。
つまり《かささぎ》は、モネが「白の輝きの秘密」をまだ完全には手中に収めていない時期の作品・・・ということになります。
試行の途上で、あの雪が描かれた。
白の中に潜む青・薄紫・バラ色を、
おそらくまだ手探りで、正確に塗り重ねながら。
ここで問い直したいのは、
なぜモネだけがこの「白の秘密」に気づけたのか、ということです。
感動していたから、ではないと思います。
雪を美しいと思う画家は、他にもたくさんいたことでしょう。
モネが他者と違ったのは、
自然光が白い表面に対して何をしているかを、誰よりも執拗に観察していた
という点ではないでしょうか。
モネは立ち止まり、じっと見続けた。
そして見えたものを、再現する方法を自ら探し出した。
《かささぎ》においては、さまざまな色を白の隣に、中に置くことで。
数年後には、蛍光発光する顔料も使って。
ちなみに、研究によれば、蛍光発光する顔料のような絵の具を使っていたのは、同時代の画家ではモネだけらしいです。同じ印象派のルノワールも並置混色で鮮やかさを追求しましたが、蛍光発光する顔料は意図的に使っておらず、点描技法を用いるスーラの作品でも同様の発光はほぼ確認されていないのだとか*1。
感動ではなく、観察の意志。
それが、あの雪の輝きの源泉だったのではないか——と私は思います。
この問いを、サステナビリティ開示の現場に持ち込むとどうなるでしょうか。
データドリブンの開示が強まるほど、
皮肉なことに「見えているが語られていない」ものが増えていきます。
スコープ1・2の排出量は揃っていても、
サプライチェーンの実態は「白一色」のまま。
人材育成の指標は開示されていても、
なぜその施策がこの会社でこそ意味を持つのかは「白一色」のまま。
ガバナンス体制の説明はあっても、
実際の意思決定がどう変わったかは「白一色」のまま。
これらは、データで埋めにくい領域です。
だから多くの開示が、そこで筆を止めてしまいます。
皆さまにはここで、
モネが筆を止めなかったことを思い出していただきたいのです。
2026年2月19日付のブログ「点と点のあいだにあるもの」で、私は「織り目を誰が守るのか」という問いで筆を置きました。
今回、その答えの一つが見えた気がしています。
織り目を守れるのは、「白一色で済ませている場所をもう一歩見る」という意志を持った人です。
そして、サステナビリティ担当者様——とくに、CSRの系譜を、想いを継いでこられた方々には、その観察眼がある、と私は思っています。
地域の環境問題が数字になる前から「何かがおかしい」と感じてきた経験。
サプライチェーンの向こうにいる人々の顔を、指標が示す前から想像してきた習慣。
現場の取り組みの意味を、KPIが存在する前から言語化しようとしてきた積み重ね。
これらは「見えているが語られていないもの」に気づく感覚が、すでに体に入っているということではないでしょうか。
冒頭の問いに戻ります。
「心を動かす開示なんて、もう無理なんじゃないか」
モネの《かささぎ》は、今も見る者を立ち尽くさせます。
それは感動を演出したからではありません。
モネが、他の画家が白一色で済ませていた雪の表面を、執拗に観察し続けたからです。
その観察の積み重ねが、画面に宿り、150年を超えて、私たちの足を止めます。
そして、サステナビリティ開示も同じ構造を持てるのではないかと、私は思います。
データが「足場」であるなら、
観察は「雪の色を正直に塗る意志」です。
その意志を持った担当者様が書いた開示は、読む者に何かを伝えます。
それが投資家であれ、従業員であれ、消費者であれ。
人を動かすのは、演出された感動ではなく、見えていたはずなのによくわからなかったものが、ようやく言葉になった瞬間だと思うのです。
サステナビリティ担当者の皆さまへ。
データへの要求が強まる中で、
「自分のやってきたことは古いのではないか」と感じる瞬間があるかもしれません。
ですが、本日お話したモネの探究は、技法が確立する前の、まだ手探りの段階から始まっていました。
《かささぎ》は、その途上で生まれた一枚です。
完成した手法がなくても、観察は始められます。
見えているものを、正直に、丁寧に塗り続けること——それが積み重なったとき、開示は輝きを持ちます。
そしてそのとき、かささぎは、
企業固有の重要課題や、他社にはない文脈は、
自然と、読む者の目に浮かび上がるのではないでしょうか。
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本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
*1 出典:美術評論+ 『輝く画面をつくりあげた大気と色の秘密「モネ 連作の情景」大阪中之島美術館 三木学評』(2024年2月12日)
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。