SusTB communications サスティービー・コミュニケーションズ株式会社

未来に響くコミュニケーションレポートの企画・制作×コンサルティング

HINTサステナ情報のヒント

熊本で進む「ウォーターポジティブ」への挑戦(1)~水クレジットの具体例

水資源

先日のブログ「水クレジットとは何か?――カーボン・インセット/オフセットとの違いと流域連携のススメ」では、「水クレジット」という仕組みを紹介し、その意義やカーボン・クレジットとの違い、流域全体で協働する大切さをお話ししました。

このシリーズ、今回と次回は、その続編として、実際に国内で進みつつあるウォーターポジティブな取り組みを見てみましょう。

舞台は地下水資源に恵まれた熊本です。
ここでは現在、産官学金が連携し、大規模工場の進出による水リスクに備えるプロジェクトが進行中です。

熊本の事例を通じて、水クレジットが技術的にどのように成り立つのか、そして国内でどんなモデルがあり得るのかをやさしく掘り下げてみたいと思います。

大規模開発で高まる水リスクと地下水涵養地の減少

熊本県は生活用水をほぼ100%地下水で賄う「水の国」として知られ、豊富な地下水資源に恵まれてきました。ですが近年、この地下水資源に水量・水質の両面で危険信号が灯っています。都市化や人口増、そして台湾積体電路製造(TSMC)の巨大工場進出などの大規模開発により、田畑や森林が工業用地や宅地へと転用され、地下水の涵養域(雨水が地下水に浸透するエリア)が減少しています。

その結果、地下水位の低下や湧水量の減少が観測され、地域の水循環に影響が出始めています。

実際、TSMC熊本工場は年間約310万トンもの地下水を汲み上げる見通しで、熊本地域全体の年間水使用量の約2%に相当します。さらに第2工場の建設計画も発表され、将来的な地下水採取量の増加が懸念されています。

こうした水需要の増大と涵養域減少の組み合わせが、熊本にも水リスク(将来の水不足や水資源劣化のリスク)をもたらしつつあります。

熊本大学の嶋田純名誉教授(地下水学)は「熊本の地下水は琵琶湖の3倍以上(約871億トン)と推計され、毎年約10億トンが雨などで新たに涵養される一方、約1億6千万トンを汲み上げて利用されており、「現状では直ちに枯渇の心配は大きくないが、取水量の増加は末端の湧水(例えば江津湖の湧水量)を減少させる可能性がある」と指摘していま

 

地下水採取事業者への規制が強化された

熊本県はこうした指摘を踏まえ、地下水採取事業者への規制を強化しました。従来は「汲み上げた地下水量の1割を涵養せよ」というルールでしたが、2023年に「採取量と同量の涵養」、すなわち使用した分と同じ量の水を地下に戻すことを求める新ルールに改めたのです。

これは地下水利用が地域に与える影響を相殺する目的で、事業者に対し今まで以上に涵養への取り組みを促すものです。 しかし、嶋田名誉教授は「自然に地下に入ってくる量自体が減れば、人工的な涵養をいくら頑張っても追いつかない事態も起こり得る」と警鐘を鳴らします。

特に問題視されるのが土地利用の変化です。地下水涵養に最も貢献しているのは田畑などの農地であり、逆に都市化された土地では涵養が極めて乏しくなります。嶋田名誉教授によると、土地利用別の地下水涵養の効果は次の通りです。

  • 水田:地下水涵養効果が最も高い
  • 畑地:水田に次いで高い
  • 牧草地・芝地・草地:畑地に次ぐ
  • 森林:牧草地等に次ぐ
  • 住宅地・工業地などの都市的土地利用:涵養効果はほとんどない(極めて低い)

 

熊本市近郊の菊陽町や大津町(TSMC工場の立地地域)は、阿蘇火砕流由来の透水性の高い地質に覆われており、他地域より5~10倍も雨水が地下に染み込みやすい土地です。このエリアは熊本の地下水涵養を支える重要な役割を果たしてきました。

しかし近年、まさにその涵養効果の高い畑や水田が次々と工業地・住宅地に変わってしまっている—―そこが問題なのです。

嶋田名誉教授は「涵養効果の高い農地をなるべく残す仕組みが必要だ。土地を売らず農地を維持してもらえるよう、財政的な補填を行うなど農地を保全する新たな仕組みづくりを考えなければならない」と提言しています*1

この指摘は、まさに現在熊本で模索されている「ウォーターポジティブ」な取り組み、すなわち地域の水循環を守る新たな仕組みの必要性を端的に示しています。

 

金融の力で水循環を守る「ウォーターポジティブ・アクション」

上記のような危機感を背景に、熊本では官民学金(行政・企業・大学・金融)が連携して革新的な水資源保全スキームを立ち上げました。2025年2月、公立大学法人熊本県立大学、国立大学法人熊本大学、株式会社肥後銀行(地元地方銀行)、サントリーホールディングス株式会社、日本政策投資銀行(DBJ)、MS&ADインシュアランスグループホールディングス株式会社の6者が共同で、産学金協働プロジェクト「熊本ウォーターポジティブ・アクション」を始動しています。

熊本県や熊本市、公益財団法人くまもと地下水財団もオブザーバーとして参加しており、公的機関を巻き込んだ地域ぐるみの取り組みです。

「ウォーターポジティブ・アクション」とは、その名の通り地域の水循環をポジティブ(好循環)に転じさせることを目指したプロジェクトです。ここでいう“ウォーターポジティブ”は、「流域内での土地改変や取水による水へのネガティブな影響に対し、水を育む自然環境の保全や水源涵養、再生水の活用などを通じて、流域内に同等以上の水を還元すること」と定義されています。要するに、工場進出や都市開発で失われる水循環機能を、別の対策で補い、プラスに転じさせるという考え方です。

このアクションのユニークな点は、金融的手法を活用して水循環保全のメカニズムを推進しようとしていることです。。具体的には、企業や土地所有者が自主的に敷地内外にグリーンインフラ(雨庭、透水性の舗装、緑地など)を導入することを促し、それによって得られる地下水涵養量などの「自然の価値」をクレジット(信用券)化する仕組みを検討しています。

 

これは、いわば「水クレジット」すなわち、水版のカーボンオフセット制度とも言える試みです。土地開発に伴う悪影響を相殺・上回るだけの水資源再生(リチャージ)を経済的インセンティブで後押ししようという発想です。

 

熊本地域ではもともと、市民・行政・企業が協働して地下水の保全に長年取り組んできた歴史があります。例えば2013年には熊本市が地下水保全の取り組みにより国連「生命の水」最優秀賞を受賞するなど、世界的にも高い評価を得ました。

ですが前述の通り、近年の急速な開発で水循環への不安が高まっており、ウォーターポジティブ(健全な水循環)とネイチャーポジティブ(自然環境の保全再生)を地域全体で実現していくことが急務となっています。

熊本ウォーターポジティブ・アクションは、まさにその課題に応えるべく、産学金が知見を持ち寄って立ち上げた協働プロジェクトなのです。 プロジェクトを構成する6組織はそれぞれ役割を担っています。熊本県立大・熊本大はグリーンインフラや地下水涵養効果の科学的評価手法の開発を担当し、肥後銀行は地元企業への働きかけや資金調達スキームの設計で貢献します。

サントリーホールディングスは後述するように自社の経験や技術を活かし地下水保全効果の検証を支援し、日本政策投資銀行は環境金融の知見から新たな融資・投資モデルの研究を行います。

MS&ADホールディングスはTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)など国際的フレームワークに通じており、グローバルな視点でスキーム設計と発信を担います。

 

このように多様なステークホルダーが強みを発揮し、官民連携で資金を循環させながら地域の水循環を守る――これが熊本発の「ウォーターポジティブ・アクション」の骨子です*2

 

---

少し、長くなってしまい申し訳ありません。

 

このシリーズ次回のブログでは、

 

  • ウォーターポジティブの鍵となる、グリーンインフラ(自然の力を活用したインフラ)
    …具体的には、開発が進む地域に雨水を浸透させる「雨庭(レインガーデン)」

 

  • グリーンインフラで増やした水をクレジット(信用取引の単位)化するために必要な、その効果を定量的に測定・認証する仕組み(MRV:測定・報告・検証)

 

等のお話をしたいと思います。

 

それではまた、次回のブログで。

 

執筆担当:川上 佳子


*1 出典:KAB「TSMC進出による熊本の地下水への影響は?

*2 出典:サントリーホールディングス プレスリリース『~産学金協働による水循環保全イベントを熊本で開催~
グリーンインフラ普及による「熊本ウォーターポジティブ・アクション」を始動』

記事一覧へ