サステナビリティ担当者の皆さまの中には、「水資源への対応は重要だとわかっているが、自社だけではどうにも難しい…」と感じておられる方も多いのではないでしょうか。
気候変動が進む中で、洪水や干ばつといった水関連災害が激甚化しています。
世界では世界人口の3分の2(約40億人)が深刻な水不足に直面しており、特に地下水の枯渇や水質悪化は、工場の操業停止や製品品質の低下、さらにはレピュテーションリスク(評判の悪化)にも直結する企業経営上の大きな課題となっています。
また、機関投資家を中心に、水リスクを適切に管理しているかどうかを企業評価の重要な指標と捉える傾向が年々強まっています。TNFDやCDP Waterといった水リスク開示の枠組みへの対応は、もはや企業にとって必須事項と言えるでしょう。それでも、水は地域や拠点ごとに状況が異なり、単独の企業努力だけでは限界があるのも事実です。
こうした背景から、今、「水クレジット」という仕組みが注目されるようになっています。
本日のブログでは、この水クレジットの仕組みと意義についてやさしく解説し、あわせてカーボン・インセットとオフセットの違いを整理します。
さらに、水クレジットの文脈でなぜ“オフセット”が一般化しないのかを考え、「流域連携型のインセット」というキーワードで、単独では難しい水課題への実践的なアプローチをご紹介したいと思います。
ひとことで言えば、水クレジットは「企業の水使用による影響を埋め合わせるための仕組み」です。
カーボンクレジット(排出権)の水版と考えるとイメージしやすいでしょう。
企業が製品製造や物流の過程で使った水の量に見合うだけの「水の価値」を他の場所で創出し、それをクレジット(信用量)として取引するものです。たとえば、自社の工場で100トンの水を使用した企業が、その100トン分の水を地域社会に供給・再生するプロジェクトに投資し、水クレジットを取得することで、自社の水使用量を間接的にオフセット(相殺)するといったイメージです。
水クレジットは、水資源保全への取り組みに市場原理を取り入れる試みとも言えます。
水を節約・浄化・再生した量を“見える化”して価値を与え、企業にインセンティブを生む点が特徴です。たとえば農家が効率的な灌漑を行って水消費を減らしたり、企業が地域の雨水貯留や地下水涵養プロジェクトに投資したりすると、その節水・水質改善の成果がクレジットとして認証・付与されます。
こうして得たクレジットを他の企業に売却すれば、節水に努めた側には経済的なリターンが生まれ、購入した側は自社の水利用による環境影響を「オフセット(埋め合わせ)」したとみなすことができます。
つまり、水資源の価値を数値化・取引することで、企業や農家、コミュニティの水資源保護の取り組みを促すことが、水クレジットのねらいであると言えるでしょう。
ところで、カーボン・オフセットは一般にも広く知られ、多くの企業が活用していますが、水クレジットによる水のオフセットはあまり一般的ではありません。その理由の一つは、「水」という資源の持つ性質が極めて地域性の高いもの、ローカルなものであるからです。
カーボン(温室効果ガス)は地球規模で拡散し、どこで削減しても地球全体には同じ価値があります。極端な話、日本で1トンのCO₂を削減しても、アメリカで1トン削減しても、気候変動の抑制効果としては同じ1トンです。
ですが水資源の場合、そうはいきません。水の価値や重要性は流域ごとに異なるという、「超」ローカルなものなのです。
乾燥地域での1トンの節水と、水が豊富な地域での1トンの節水では、周囲の生態系やコミュニティに与える意味も価値もまったく違います。ある地域で不足している水を、別の豊かな地域で節約しても、それで最初の地域の問題が解決するわけではない=他の場所で生まれた水クレジットを買えば自社の水課題が「チャラになる」とは考えにくいのです。
企業の水リスクは拠点の置かれた各流域ごとに異なるため、ある事業所の水不足リスクは、その土地で直接対応するしかありません。たとえ遠く離れた場所で多額の資金を投じて水源林を保全しても、自社工場のある地域が渇水であれば事業継続に支障が出るでしょう。こうした理由から、水クレジットでオフセットを行う発想は原則的に成立しづらく、グローバルでもまだ試行的な段階にあります。
加えて、水クレジットを巡ってはグリーンウォッシュ(見せかけだけの環境貢献)への懸念も指摘されています。例えば先述のように他社の地下水涵養プロジェクトからクレジットを買い、自社の製品について「実質的に水使用量ゼロ!」とPRするケースを考えてみましょう。実際には水を使っているのに、他所の功績をお金で買って帳消しにするやり方は、ステークホルダーから批判を受けるリスクがあります。「それよりまず自社での節水努力をすべきではないか?」という声が上がるのももっともですし、クレジットを創出した側と購入した側の成果の二重計上といった技術的課題もあります。こうした点から、安易に「水オフセットで水使用ゼロ!」と謳うことには慎重になるべきでしょう。
では、水クレジットの活用が難しい中で、企業の水リスク対応は結局「自前の節水努力」だけに頼るしかないのでしょうか?
実は今、世界的な水資源保全の潮流として注目されているのが、企業が単独ではなく協働で取り組むアプローチです。それが「流域連携型のインセット」とも言える考え方です。
WWF(世界自然保護基金)は、企業が水リスクを低減するには自社の管理範囲を超えて「流域に関わる多様なステークホルダーと共同で取り組む」視点が不可欠と述べています*1。上流から下流まで同じ水系を利用する住民や企業、行政が連携し、流域全体を一つの単位として水資源の管理や保全に当たる――いわゆる「ウォータースチュワードシップ(水の管理責任)」、つまり、一社だけでは流域全体の問題解決は困難ですから、同じ流域内の企業同士や自治体、NPOと協働し、流域規模で水環境を良くしていこうという考え方ですね。
この流域連携の取り組みは、ある意味で「オフセットではなくインセットを流域スケールで実践する」こととも言えます。自社だけでなく地域ぐるみで水循環を健全化させ、その恩恵を皆で分かち合うことで、結果的に自社の水リスクも低減するという発想です。具体例としては、企業が共同で地域の湿地や森林の保全活動に資金を出し合ったり、産官学で協力して地下水涵養プロジェクトを進めたりするケースが挙げられます。
次回のブログでは、こうした取り組みのひとつである、熊本での最新事例についてご紹介します。
熊本県では、地下水の豊富な熊本市を舞台に「ウォーターポジティブ」を目指すプロジェクトが進行中です。肥後銀行や損保大手のMS&AD、日本政策投資銀行、飲料大手のサントリーHDなどが連携し、2025年度中にも「熊本ウォーターポジティブデザインセンター」を立ち上げる計画です。大規模な半導体工場進出で懸念される水資源減少に対し、産官学金が協働して地下水涵養量を定量的に測定・認証する仕組み(=水クレジットの一種)を検討しています。
※参考記事:日経電子版「サントリー、水クレジットの認証組織 資源の再生量評価」(2025年6月21日)
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
*1 WWF「企業の「水リスク」対応に必要な5つの視点」(2022年3月29日)
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。