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昨年末の報道を見た時は「大言壮語にもほどがあるでしょう…」と思っていたのですが、こう何度も目にすると、つい気になってしまいます。
何の話かと申しますと、トランプ次期大統領が「パナマ運河の獲得」を望んでいる、との報道です。
昨日から政治の話題続きで恐縮ですが、本日はこのニュースを海運会社の、そして物流のサステナビリティの観点から考えてみたいと思います。
パナマ運河は、大西洋と太平洋を結ぶ航路です。
パナマ運河を利用することで、南アメリカ大陸を迂回するよりも距離と時間を大幅に短縮(約13,000 km短縮)することができるため、国際的な物流ネットワークにとって不可欠な場所であり、典型的なチョークポイント(地政学的に重要で、海上交通の流れを制御または遮断できる狭い地域)となっています。
パナマ運河がいかに重要かを示す、こんなお話もあります。
パナマ運河は閘門を使用した運河である点はご説明をしましたが、その閘門の大きさや水深から通航できる船の大きさも決まっており、パナマ運河を通航できる船の最大の大きさを「パナマックス(Panamax)」と言います。 多くの大型の貨物船は、出来るだけ多くの貨物を輸送できる、且つこのパナマ運河を通過できるサイズであるパナマックスの制限値ギリギリで設計・建造されており、パナマックスが船舶設計の一つの重要な要素となっています。
パナマ運河は2016年に拡張工事が行われ、新たな運河が引かれたことで通過できる船舶の大きさも拡大しました。その新たな最大の大きさは「新パナマックス(New Panamax)」と呼ばれています。
(出典:商船三井ロジスティクス MLG BLOG「パナマ運河で起きている水不足危機?その原因と物流における影響」(2024年2月22日))
さて。
このように重要なパナマ運河ですが…実は、その通行はある条件が前提となっています。
その条件とは、「大量の淡水」の存在です。
実は、パナマ運河はフラットではなく、高低差があります。
具体的には、
- 海(大西洋)から山の頂上にある湖(ガトゥン湖)に向かってのぼる
- 頂上の湖から、反対側の海(太平洋)に向かっておりる
という形で通過する必要があるのです。
(このしくみについては、日経ビジュアルデータ「乾くパナマ運河滞る大動脈 水不足、世界経済に影」の「TOPIC3 ガトゥン湖水位が生命線」がわかりやすいと思います)
こんな話を聴くと、「え?船が ”のぼる”なんて不可能じゃないの?」と思いますよね。
その不可能を可能にしているのが、閘門の存在です。
パナマ運河を通行する船を閘門の中に入れ、頂上のガトゥン湖から閘門内に水(淡水)を注入することで、水量を上げる→これによって船の位置も上昇し、より標高の高い位置にある次の閘門の中に入ることができる、という動作を繰り返すことで船を頂上の湖へと導くのです。
このように不可欠な「水」ですが、2023年にはガトゥン湖の水量不足が問題となりました。
水源である雨が減っている(2023年は過去100年で最大の干ばつと呼ばれるほど雨が少なかったのです)ことに加え、気候変動にともなう高温が湖からの蒸散量も増加させた結果、湖の水位が低下したのです。
パナマ運河のサステナビリティー責任者を務めるイリヤ・エスピノ・デ・マロッタ氏は「雨が降らなければお手上げだ」と語る。
「従来でも異常な干ばつは15─20年おきに見られた。だが最近は、2016年、19年、23年に発生している。明らかに、気候変動の問題に対応する必要がある」と同氏は言う。
(出典:ロイター「アングル:水不足で通航制限のパナマ運河、飲料水供給との均衡も課題」(2024年3月27日))
その結果、渇水前には1日当たり36隻だったパナマックスの通航枠に対し、2023年7月末から通航制限が加えられ12月には22隻まで減りました*1。
幸い、その後の降水量回復により2024年9月からは通行枠がほぼ回復しました*2が、同じようなことがまた起きてはならないと、パナマ運河庁は今、将来的な水不足に備えて新たな貯水池の建設を計画しています。
(新たな貯水池候補のチリ関係については日経ビジュアルデータ「乾くパナマ運河滞る大動脈 水不足、世界経済に影」の「TOPIC4 貯水池の新設に難題」がわかりやすいと思います)
しかし、この新貯水池建設の実現には、大きな課題が横たわっています。
近隣住民の同意を得られるのかという問題です。
以下、少し長いですが引用いたします。
川沿いコミュニティーで何よりも懸念されているのは、新ダムの建設により、家屋や農場が浸水し、保有者は退去を迫られることになりはしないかという点だ。
インディオ川下流域のあるコミュニティーの指導者、ヤリツァ・マリン氏は「われわれはプロジェクトには賛成していない」と話す。
マリン氏は「ダムがこのコミュニティーにどのような影響を及ぼすのか不明だ」とし、「ダム建設よりも、なぜ私たちのコミュニティーに投資しないのか。医療や教育、上水道といった基本的なサービスさえ整っていないのに」と語る。
パナマでは、政府に対する人々の怒りや不満を生む背景として、環境問題やコミュニティーの権利の擁護がますます比重を増しつつある。
昨年11月には、銅鉱山開発契約に関する情報開示が不足しているとして数千人の国民が街頭での抗議行動に参加し、これを契機に政府に対するさまざまな不満が噴出した。インディオ川新ダム建設プロジェクトも、これに似た不信感を振り払えずにいる。
やはりインディオ川下流域に住むボリバル・サンチェス氏は、新ダム建設プロジェクトを初めて耳にしたのは2000年で、このときは地域内で運河当局側によるワークショップがあったと話す。だが、その後は住民との協議の場は設けられていないと続けた。
「当局はコミュニティーに敬意を払い、しっかりと対話すべきだ。水を必要としているのは私たちも同じなのだから」
(出典:ロイター「アングル:水不足で通航制限のパナマ運河、飲料水供給との均衡も課題」(2024年3月27日))
このように、パナマ運河にはさまざまなサステナビリティ課題が山積しており、世界の物流にとって大きな問題となっているのです。
冒頭でお伝えしたトランプ大統領の発言は、現状でもすでにサステナビリティ課題が山積するパナマ運河に対し、新たに地政学リスクを加えるものであるため、(大言壮語であろうとは思いつつも)私はその動向から目を離すことはできません。
トランプ氏の発言が即、外交政策に反映される可能性は低いはずですが、これをきっかけに米国とパナマの間で新たな対立が生まれた場合、運河の通航に遅延やコスト増加が生じるリスクがあります。そうなれば海運会社にはコストやルート選択に直結する問題であり、ひいては私たちの日常生活を支える物流にも大きな影響が出ることになります。
折しも、1月7日には米国の調査会社ユーラシア・グループが2025年の「世界の10大リスク」を発表しました(日本語版PDFはこちらからお読みいただけます)。
パナマ運河をめぐるトランプ発言は、ここで指摘されたリスクのうち
が(早くも)具現化されたものと言えるでしょう。
ちなみにユーラシア・グループは「10大リスクが日本に与える影響」も発表しています。
その末尾に、こんな記述がありました。
Japan also imports 90% of its crude oil from the Middle East and has benefitted from the slump in oil prices in 2024. It does not want to see a broader US-Iran confrontation that would likely drive up prices. Iran’s weakened state could tempt Trump to go for a knock-out punch against Iran to end its nuclear weapons ambitions. Japan would worry such provocative actions might simultaneously knock out its own economy, especially if Iran retaliated with strikes against energy infrastructure in the region or halted traffic through the Strait of Hormuz.
(また、日本は原油の90%を中東から輸入しており、2024年の原油価格の低迷から恩恵を受けていた。米国とイランの対立が拡大し、原油価格が上昇する事態は避けたい。イランの弱体化は、トランプ大統領をして、イランの核兵器開発の野望を終わらせるためのノックアウトパンチを放とうという気にさせるかもしれない。日本としては、そのような挑発行為が自国の経済をも同時に打ちのめすのではないかと懸念するだろう。特に、イランが報復として地域のエネルギーインフラを攻撃したり、ホルムズ海峡の交通を遮断したりした場合にその懸念は高まる)
(出典:Eurasia Group Top Risks 2025: Implications for Japan)※日本語はSusTBによる仮訳
パナマ運河だけでなく、ホルムズ海峡にも地政学リスクが存在する――
貿易物資のほぼすべてを海運に頼っている日本にとって、「チョークポイント」のサステナビリティリスク(地政学リスクも含む)は、まったくひとごとではありません。
といっても、現実的には海運会社の方々のリスク対応力に頼るしかないので… せめて、海運業界と所属する企業様の動向に日々、注意を向けていたいと思う次第です。
本日も長文となり、失礼いたしました。
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
*1 出典:株式会社日新 N-avigation「水が足りない!?パナマ運河の渇水状況」(2024年7月4日)
*2 出典:ロイター「Panama Canal to increase transit slots in September as rains come early」(2024年7月31日)
*3 トランプ氏は、パナマ運河の通航料が米国にとって不公平であり、特に中国の影響力が増大していることを懸念しています。さらに、トランプ氏は、パナマ運河が中国の管理下に置かれる可能性を指摘し、これを防ぐために米国が運河の管理権を再び掌握する必要があると述べています。
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。