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Scope1の数字の裏に、何があるか——わさビーフが止まった11日間

ニュース / 気候変動 / 脱炭素

この記事の3つのポイント

  • Scope1は単なる排出量ではなく、「どの燃料に依存しているか」という物理的な調達構造そのものを表している
  • 脱炭素のための燃料転換は、結果として地政学リスクを回避する「物理的な防御策」として機能する
  • 開示の焦点は「どれだけ排出したか」から、「そのエネルギーをどう確保しているか」へと移り始めている

 

Scope1の排出量は、多くの企業様がすでに開示しています。
削減目標も、燃料転換の方針も。

ですが、「その熱をどこから持ってきているか」という物理的な調達構造は、報告書の中にはほとんど現れません。
それは怠慢ではなく、これまで問われてこなかったからです。

 

そんな中、2026年3月に起きたある事件は、その問いを突然、実務の表面に引き出しました。

 

重油が止まり、ポテトチップスが止まった

3月12日、山芳製菓(兵庫県朝来市)は工場の一部稼働を停止しました。
ホルムズ海峡の事実上の封鎖により、製造ラインで使用していたボイラー燃料——重油——の調達が困難になったためです。

生産停止の対象は「わさビーフ」「しおビーフ」「明太マヨビーフ」など主力6製品*1。工場が再開できたのは3月23日、停止から11日後のことでした*2

 

なぜポテトチップスに重油が必要なのか。
ここは、少し丁寧に整理いたしましょう。

ポテトチップスの製造ラインでは、大量の食用油を一定温度に保つための熱源が必要です。多くの食品工場では、ボイラーで蒸気を発生させ、フライヤーの油温を管理しています。山芳製菓の場合、そのボイラーが週に約3万リットルの重油を消費していました。

 

重油は「製品に入る原材料」ではありません。
「工場を動かすインフラ」です。
消費者の視界にも、サプライチェーン開示の対象にも、通常は入ってこない存在でした。

その見えないインフラが、今回、最初に詰まりを起こしました。

ここには、備蓄制度の構造的なギャップがあります。
日本には国家備蓄・民間備蓄あわせて約250日分の石油備蓄がありますが、その大半は原油です。

備蓄義務を負うのは石油精製業者や販売業者であり、食品工場のような最終需要家ではありません。

備蓄はマクロの安全網であっても、個社のジャストインタイム調達を保証する仕組みではないのです。
この結果、影響は、末端の現場から先に出ました*3

 

脱炭素は「義務」ではなく「防御」だった

ここで、サステナビリティの観点から、立ち止まって考えたいことがあります。

食品業界では近年、ボイラー燃料を重油から都市ガス・LNG・LPG、あるいは木質バイオマスへ切り替える動きが広がっています。

この燃料転換は、サステナビリティの文脈では一貫して「脱炭素」の施策として語られてきました。
CO2排出量の削減、Scope1の低減、サステナビリティ報告の改善。

 

さらに2026年4月からはGX-ETSの義務化フェーズが始まり、Scope1を減らすことは「よいこと」から「やらなければならないこと」に変わりつつあります*4

つまり、燃料転換とは制度対応であり、コスト計算であり、開示義務への対応——そう語られてきました。
しかし今回の事態は、この語られ方を根底から裏返しています。

 

重油ボイラーを使い続けていた工場は、ホルムズ海峡の封鎖という一つの地政学イベントで生産が止まりました。一方、都市ガスや木質バイオマスへの転換が済んでいる工場であれば、少なくとも「海峡が閉じたから製品が揚げられない」という経路での停止は起きなかったはずです。

 

Scope1を減らすための燃料転換は、結果として中東リスクからの物理的な離脱でもありました。

脱炭素は「義務」ではなく「防御」だった。
この逆転が、わさビーフの一件で事後的に証明されたことになります。

 

そしてもう一点、制度の射程について触れておきたいと思います。

GX-ETSの対象は3カ年平均で直接排出10万トン以上の大企業(約300〜400社)です。
したがって、本来、山芳製菓のような規模の製造業は制度の外にあります。

ところが今回、制度が届かない場所で、燃料選択の帰結が先に表れました。
制度への適合が企業を守るわけではなく、地政学リスクは、排出量の大小に関係なく、化石燃料を使うすべての工場に等しく及ぶということが、改めて浮き彫りになりました。

 

Scope1の内訳が「読めるもの」に変わる日

今回の事態は、サステナビリティ開示の「読み方」にも問いを投げかけています。

自社工場の手元燃料は何日分か。調達先は一社集中ではないか。
同じ熱源を別の燃料で代替できる設計になっているか——。

これまでScope1の削減計画書に記載されてきたこれらの項目は、気候変動対応であると同時に、地政学リスクへの耐性を測る指標でもあったのです。

サステナビリティ開示は、長いこと「測られる報告」でした。
数字を出し、前年比を示し、目標との距離を報告する。

しかし今回の事態は、あの数字の裏に「この工場はいまどこから熱を持ってきているのか」という物理的な現実がぶら下がっていることを、否応なく見せました。

わさビーフが止まった11日間に、Scope1は単なる排出量の帳簿から、調達リスクの地図へと変わったのではないでしょうか。

そんな気がしてならないのです。

 

ーーー

今週もお読みいただき、ありがとうございました。

それではまた、次回のブログで。

 

執筆担当:川上 佳子


*1 出典:日経電子版「山芳製菓、わさビーフ出荷停止 ホルムズ海峡封鎖で重油調達が困難」(2026年3月17日)

*2 出典:日経電子版「「わさビーフ」生産再開 山芳製菓、重油の調達体制整う」(2026年3月23日)

*3 3月19日出荷分から政府の燃料価格激変緩和措置が重油を含む石油製品を対象に開始されましたが、同補助金は石油元売りへの卸価格支援であり、個社の燃料調達量を保証するものではありません。山芳製菓の生産再開(3月23日)は、補助後の小売価格浸透(3月末〜4月初旬見込み)に先行しており、同社が「一定量を確保できた」と発表していることから、自社調達努力によるものと理解されます。

*4 改正GX推進法に基づくGX-ETSは、2023年度からの自主参加フェーズを経て、2026年4月から義務化フェーズに移行。CO2直接排出量の3カ年平均が10万トン以上の事業者(約300〜400社)が対象となり、排出実績量と同量の排出枠の保有が義務づけられます。

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