この記事の3つのポイント
前回は、水が「元に戻せない」3つの物理的理由を見ました。
帯水層の圧密、氷河の消失、湿地の消滅。いずれも予算や政治的意志だけでは覆せない、物理法則や気候条件に根ざした問題でした。ここまで読んで、「では何もできないのか」と感じた方もいらっしゃるかもしれません。
ご安心ください。
レポートはむしろ逆のことを言っています。
破産を認めることは絶望ではなく、再出発の前提。
企業の破産手続きがそうであるように、
現実を正確に認識することが、初めて意味のある再建計画を可能にする。
シリーズ最終回の今回は、レポートが提唱する「破産管理」の発想と、それがサステナビリティ担当者様の実務にとって何を意味するのかを考えます。
第1回で、「診断が変われば問いも変わる」とお伝えしました。レポートは、この違いをさらに具体的に描いています。
危機管理の基本発想は「ショックを乗り越えて、元の状態に戻す」こと。復旧と正常化が目標です。
破産管理の基本発想は「元に戻せないことを認めた上で、縮小した限界の中で再設計する」こと。緩和(mitigation)だけではなく、新しい制約への適応(adaptation)を組み合わせる必要がある、とレポートは述べています。
その上でレポートは、水の破産状態にある地域を統治するための原則をいくつか提示しています。そのうち、サステナビリティ実務への示唆が特に大きいと思われる2つを紹介します。
第一は、「限界と損失について正直に語る」という原則です。
レポートは、まだ元に戻せるかのように振る舞い続けることが、最も損害を拡大させる対応だと指摘しています。否認と先送りが、対策のタイミングを遅らせ、最終的な調整コストを押し上げる。正直な現状認識がすべての出発点である、と。
第二は、「さらなる損害の防止を最優先にする」という原則です。
すでに失われたものを嘆くよりも、まだ失われていないものを守ることに資源を集中させる。残っている湿地、残っている帯水層、残っている生態系の機能を、これ以上毀損しないことを最優先課題に据えるべきだ、とレポートは述べています。
ここからは、レポートの内容を踏まえた上での、筆者なりの補足です。
開示の文脈に引きつけて考えると、この2つの原則は重い問いを投げかけます。
「正直に語る」とは、自社が依存する水源の状態が、ストレスなのか、危機なのか、それとも破産なのかを正確に見極め、それに即した目標を設定するということです。仮に依存先の水系がすでに破産状態にあるなら、「回復可能な水準への削減目標」は、存在しない前提の上に立っていることになります。
「さらなる損害の防止を最優先にする」とは、目標を掲げる前に、自社のバリューチェーンが依存している自然資本のうち、どこが最も脆弱かを見極める作業です。これは、TNFDなどのフレームワークが求める「依存と影響の評価」の根底にある発想と重なります。
レポートが指摘するもう一つの重要な論点があります。
水ストレスの段階であれば、節水や効率化は有効な対策です。しかし実態が破産の段階にあるとき、効率化には思わぬ落とし穴があるとレポートは警告しています。
たとえば灌漑の効率を上げた結果、「節約できた水」が新たな農地の拡大に回り、結局は水の総使用量がむしろ増えてしまう。使えるようになった分だけ需要が膨らむリバウンド効果(これをジェボンズのパラドックスと言います)が生じうる、と。
同様に、ダムの新設や流域間の導水、海水淡水化といった供給拡大策も、需要の総量に上限を設けなければ、さらなる開発を呼び込み、問題を先送りするだけになりかねない。レポートはこれを端的に「裏目に出る応急処置(a fix that backfires)」と表現しています。
ここでのメッセージは「効率化が悪い」ということではありません。「診断がストレスなのか破産なのかによって、同じ対策の意味が変わる」ということです。第1回の「診断が変われば問いも変わる」というテーマは、こうした具体的な施策の評価にまでつながっています。
最後にもう一つ、レポートから紹介したい視点があります。
レポートは、従来の水管理が水という「製品(プロダクト)」を量的に管理することに集中してきたことを指摘しています。取水量、使用量、排水量──いずれも水そのものの数字です。
しかし本当に問うべきは、その水を生み出している「プロセス」──土壌の保水機能、湿地の浄化機能、森林の涵養機能、氷河の貯留機能──が健全かどうかではないか、と。
製品をいくら管理しても、その製品を生み出す仕組みが壊れていれば意味がない。レポートはこの視点の転換を、水ガバナンスの根本的な課題として提起しています。
これも筆者なりに開示実務に引きつけて言えば、取水量の削減目標を掲げることと、自社のバリューチェーンが依存する水源の「生産プロセス」が持続可能かどうかを評価することは、まったく別の作業です。後者の視点がなければ、目標自体が空転する可能性がある。前回の「量だけでなく質の劣化も見落とせない」という論点と、根っこでつながる問題です。
全3回を通じてお伝えしてきたのは、「水危機」と「水破産」は言葉の強さの違いではなく、診断の違いであるということでした。
診断が違えば問いが変わり、問いが変われば対策の方向が変わる。
国連大学のレポートは70ページを超えるボリュームがありますが、このシリーズをお読みいただいた方なら、主要な概念はすでに頭に入っています。原典にあたると、各地域の具体的なデータや政策提言など、ここでは紹介しきれなかった内容も豊富に含まれていますので、ぜひご一読をおすすめします。
UNU-INWEH
「Global Water Bankruptcy」レポート全文(英語・PDF)
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本日もお読みいただき、ありがとうございました。
3回にわたる「水破産」シリーズ、おつきあいくださりありがとうございました。
執筆担当:川上 佳子
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。