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リニア静岡工区の合意が示す、ネイチャーポジティブ時代の対話の継続——その「合意」は、ゴールか、スタートか?

TNFD / ステークホルダー / ニュース / 自然資本

この記事の3つのポイント

  • リニア静岡工区の補償合意は、自然資本に関する「対話の終点」ではなく、運用・開示を含む「継続の起点」
  • TNFDのLEAPで整理すると、枠組みの整備は進んだ一方、想定外への対応と適応(Prepare)がこれから問われる
  • 補償(No Net Loss)だけで止まらず、ネイチャーポジティブに向けたモニタリング・適応・双方向エンゲージメントの設計が鍵に

その「合意」は、ゴールか、スタートか?

長年の懸案だったリニア中央新幹線・静岡工区の水資源問題で、JR東海と静岡県が、補償確認書の締結に至りました。

県の公表資料によれば、この確認書は国土交通省の立ち会いのもとで締結され、「中立的・継続的なモニタリング体制」の構築も盛り込まれたとのことです。

 

(ご参考記事)
日経電子版「リニア静岡工区、年内着工へ前進 JR東海と県が水問題で補償合意」(2026年1月24日)

 

膠着が続いてきた経緯を思えば、これは確かに大きな前進です。
ただ、IRやサステナビリティの担当者として開示と対話を見ていると、少し違う風景も見えてきます。

 

多くのプロジェクトでは、合意が成立した瞬間に「山場を越えた」という空気が生まれやすい。けれど自然資本をめぐる論点では、むしろその瞬間から、「対話を続ける設計」の巧拙が問われ始めます。

今回の合意も、ゴールというより「新しい航海への出航」に近いのではないでしょうか。

 

TNFDで見ると、今はどの地点か

TNFDが推奨する「LEAPアプローチ」は、企業が自然関連の依存・影響・リスクや機会を整理し、対応と開示につなげていくための道筋です。

LEAPは Locate / Evaluate / Assess / Prepare の4段階で示されます。

 

ここで大切なのは、LEAPは「この案件は第○段階」と機械的に判定する物差しではなく、企業が自ら理解を深め、準備を進めるための整理の型だという点です。

 

そのうえで、今回の合意をLEAPの観点から整理してみると、次のように読み解けます。

Locate(発見):
南アルプス周辺という重要地域で事業を行うという前提がある

Evaluate(評価):
水資源への依存関係・影響可能性を特定し、論点を絞り込む

Assess(査定):
影響が生じた場合の補償や回復措置、モニタリングなど、具体の“枠組み”を定める

 

今回の確認書が、少なくとも「補償」「回復措置」「モニタリング体制」に関して、一定の枠組みを明文化した点は重要です。

一方で、LEAPでいえば最後の Prepare(準備)――つまり 着工後に想定外が起きたとき、どの情報をどう開示し、どの条件でどう運用を修正するか――は、これからが本番になります。

 

合意は、真の対話が始まる入口。
そんなとらえ方のほうが、今の時代感には合う気がします。

 

補償からネイチャーポジティブへの距離

県の説明では、確認書は「水資源に影響が生じた場合」に、請求期限や対象期間にあらかじめ期限・限度を定めず、機能回復措置などを講じる枠組みを含みます。

また、工事との因果関係の立証を、流域の関係者等に求めないことも明記されています。

この設計は、リスク管理として大きな意味があります。

 

ただ、ここでサステナビリティ担当者さまが次の問いとして持ちたいのが、いわゆる 「ノー・ネット・ロス(No Net Loss)」 と 「ネイチャーポジティブ(Nature Positive)」 の距離感です。

 

  • No Net Loss は、開発による影響を回避・最小化し、復元やオフセットで相殺することで、結果として「損失を出さない」状態を目指す考え方です。

 

  • 一方で、近年広がるネイチャーポジティブは、自然を回復軌道に乗せ、2030年に向けて全体としてプラスの成果を目指そうという考え方です。定義づけはまだ進化の途上にありますが、方向性は明確になってきています。

 

補償は、航海の安定のための重りのようなものです。船を安定させることはできますが、それだけで船は前に進みません。
前に進むには、自然の回復や生態系サービスの向上に向けた“前向きな投資”というエンジンが要ります。

この距離感を、早い段階で社内の共通理解にしておくこと。
それが、これからのIR・サステナビリティ担当者にとって重要な視座になるはずです。

 

対話を継続するための3つの実務的視点

「合意ができたから一安心」で終わらせないために。ここから着工に向かう企業が持つべき視点を、実務に引き寄せて整理します。

 

1)動的なモニタリングと共有の仕組み

重要なのは、データを持つことではなく、ステークホルダーと同じデータを見る設計です。

今回の確認書でも「中立的・継続的なモニタリング体制」が位置づけられています。

たとえば、観測データの公開、前提・不確実性の説明、見方のガイド、定期の対話の場との接続――こうした運用の積み重ねが「一緒に見守る」土台になります。

 

2)適応型マネジメントを最初から織り込む

「合意したから計画通りに進める」という硬直さではなく、データが想定と異なる変化を示したら、工法や進度、対策を見直すという柔軟性を、初期設計に組み込むこと。

これは弱腰ではなく、むしろ科学的な誠実さです。実際、こうした柔軟な設計を初期から組み込んだプロジェクトほど、長期的には地域との信頼関係を保ちやすいという報告もあります。

 

3)双方向のエンゲージメント文化

行政や流域住民との対話を「説明責任」や「苦情処理」として閉じてしまうと、対話は長続きしません。

地域の方々は、その土地の自然を長く見てきた「現場の専門家」でもあります。知見を事業の前提・判断に取り込むことは、リスクの早期発見にもつながります。

 

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この3点は、TNFDの文脈で言えば、そのまま 「自然関連ガバナンスの実装」 として語れる要素でもあります。

 

私たちは「同じ未来」に向かっている

リニア中央新幹線という国家的プロジェクトの真の成功は、単に全線開通を果たすことだけでは測れません。

自然資本への依存と影響を正面から扱い、合意の“後”も含めて対話を継続しながら前進できるか――そのプロセス自体が、これからのインフラ事業の価値を形づくっていきます。

 

この10年で、社会の期待は確実に変わりました。

かつて「環境への配慮」は制約条件として語られがちでしたが、いまは企業価値や信頼を左右する要素として見られています。

ネイチャーポジティブという言葉が、具体的な意味をともないながら広がっているのも、その変化の表れです。

 

「山場を越えた」と胸をなでおろすのではなく、未知の海域へ漕ぎ出す勇気。
データに基づいて進路を柔軟に修正する科学的姿勢。
そして、関係者と対話を重ねながら前に進む粘り強さ。

 

サステナビリティ担当者やIR担当者の皆さまにとって、今回の合意は、自社の事業を見つめ直す鏡になるかもしれません。大規模開発でなくとも、自然資本に依存し、影響を与えている事業は数多くあります。

このニュースをきっかけに、「合意後の対話」という新しいフェーズの設計について、社内で議論を始めてみてはいかがでしょうか。

 

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本日もお読みいただき、ありがとうございました。

それではまた、次回のブログで。

 

執筆担当:川上 佳子

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