この記事の3つのポイント
本記事は、2026年2月3日付ブログ記事『なぜ今、日本の「ビジネスと人権」行動計画は改定されたのか――5年間の総括と、「一見後退に見える局面」で示された判断』の続編です。
未読の方は、あわせてご覧いただくと、より理解が深まります。
第1回では、日本版NAP改定が「実装・定着・実効性」を重視する構成になっていることを確認しました*1。
そして第2回では、欧州のオムニバス簡素化が規制後退に見えても、NGO・ベンチマーク・調達現場(EcoVadis等)が人権DDの中身をより厳しく検証し始めている構図を整理しました*2 *3 *8。
この二つから見えてくるのは、企業に残された課題が「条文への対応」ではなく、「機能していることの説明」へ移っているという事実です。
では、その実装をどこから、どう始めればよいのでしょうか。
今回は、日本版NAPの記載を手がかりに、実務に引きつけて整理していきます。
人権DDで最初につまずきやすいのは、全方位に手を広げすぎて、結局どれも薄くなることです。
第1回で触れたように、改定版NAPはサプライチェーンにおける実践的な取組と、中小企業を含む裾野の理解促進を課題として明記しています*1。
また、外国人労働者、女性、LGBTQ、障害者、非正規雇用労働者など、社会的に弱い立場にあるライツホルダーへの問題意識の高まりにも言及しています*1。
これは裏返すと、企業側には「全部を一度に完璧に」ではなく、どこから深く取り組むかを説明できる設計が求められている、ということでもあります。
第2回で扱ったEcoVadisの本質は、調達の現場が「証拠と是正」で中身を見に行くようになっている点でした。
スコアそのものより、スコアが低い場合にどう改善させるか――その導線が、取引の要件として組み込まれ始めています*8。
この局面で、サステナビリティ担当者さまが実しておきたいのは、次の2段構えです。
取引規模や売上高だけでなく、リスクの性質で区分することが重要です。
たとえば、
こうした区分ができると、「全社一律のアンケート→形骸化」から抜け出しやすくなります。リスクの高い領域には深い対話と証跡確認を、リスクの低い領域には簡素な確認を、というメリハリがきくようになるからです。
人権DDは「できていない企業を落とす」仕組みではなく、できていない部分が見えたときに、どう改善するかの設計が中核です。
実装としては、次のような運用設計が有効です。
▽一次対応の基準を明確にする
▽改善計画の運用ルールを整える
▽撤退・切替の考え方を持つ
第2回で確認したように、「取引の要件」として見られる時代ほど、不備があったときにどう動いたかが問われます。EcoVadisのような仕組みも、スコアだけでなく、改善の動き(必要に応じた是正計画の開始など)へ企業を促す構造を持っています*8。
第1回で触れたように、人権DDの実務では、影響を受けるステークホルダーとのエンゲージメントや、救済(苦情処理)の実効性が重要な論点になります*1。
(OECDや国連の指針でも、この点は共通の参照枠として強調されています。)
ただ、ここは担当者の皆さまがいちばん悩みやすい部分でもあります。
「窓口を設置しました」だけでは不十分ですが、「すべてを公開する」も現実的ではないからです。
実装のポイントは、「制度」ではなく「流れ」で整えることです。
具体的には、次の要素を設計に組み込みます。
▽受付ルートを複線化する
▽判断と対応の責任を明確にする
▽再発防止への接続を設計する
この流れが整うと、「救済は当たり前だから書かない」ではなく、「当たり前を機能させる設計」として対外的に説明できるようになります。
第2回で見たように、制度の動きと並行して、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)等の立場からも、国際基準(UNGP)との整合性を外さないことが求められています*3。
また、NGO等は「実効性は本当に担保されるのか」「被害を受けた人々への救済に届くのか」という視点で企業を見ています。
その問いに応えられる設計こそが、実装の核心です。
最後に、今回の話を明日からの実務に落とすために、3点だけ確認しておきます。
確認1:進捗会議の議題は「施策の実施」ではなく「影響の変化」になっていますか
「研修を何回実施したか」ではなく、「特定されたリスクに対して、ライツホルダーの状況がどう変わったか」を議論できているかがポイントです
確認2:サプライヤー対応は「評価」より先に「改善の導線」を設計できていますか
スコアリングの仕組みを導入する前に、スコアが低かった場合にどう改善させるか、その手順と責任者を決められているかが重要です*8 。
確認3:苦情処理は「窓口の存在」ではなく「受付→判断→是正→再発防止」の流れで語れますか
窓口を作ることがゴールではなく、受け付けた案件が適切に処理され、組織の改善につながる流れがあるかが問われています。
まだ、すべてにYesである必要はありません。
ただ、どれか一つでも「言葉にできる設計」ができると、人権DDは急速に実装フェーズに近づきます。
第1回で確認したように、人権はもはや理念的なCSRの領域にとどまらず、市場アクセス(米国の強制労働をめぐる執行等)、資本市場(PRIのAdvanceに代表される投資家エンゲージメント)、開示インフラ(IFRS S1に見られる重要性判断の枠組み)と結びついた前提条件として企業経営に組み込まれ始めています*4 *5 *6 *7。
欧州のオムニバス簡素化は、見出し上は「後退」に見えやすい局面をつくります。
ただ、欧州委員会自身の説明でも、目的は規制負担の軽減を図りつつ、政策目的を維持する形での調整(提案)と位置づけられています*2。
そして、その制度調整と同時に、OHCHR等が国際基準との整合性を求めるなど、別のルートから「中身」を問う圧力も並走しています*3。
第2回で整理したように、調達現場・投資家・NGOは「証拠と是正」で中身を見る方向へ進んでいます*3 *8。
その中で企業に残されるのは、「やっています」という宣言ではなく、「機能していることの説明」です。
本連載が、担当者の皆さまにとって、チェックリストを消化する作業ではなく、人権DDを「設計」する言葉を増やすきっかけになっていれば幸いです。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次回のブログでお会いしましょう。
執筆担当:川上 佳子
*1 外務省「『ビジネスと人権』に関する行動計画の改定」および「ビジネスと人権に関する行動計画(改定版)(2026–2030)」関連資料(2025年12月24日公表)
*2 欧州委員会:CSRD/CSDDD等に関する「オムニバス」簡素化提案(企業負担の軽減と政策目的維持の説明を含む)
*3 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)等:EUの簡素化措置がUNGPと整合する必要性に関する声明(2025年3月20日)
*4 米国CBP:強制労働関連の執行(UFLPA等)に関する公式説明(detain/exclude等の運用を含む)
*5 EU:強制労働製品を禁止する規則(Forced Labour Regulation)と適用開始日(2027年12月14日)
*6 PRI:Advance(人権・社会課題に関する協働エンゲージメント)
*7 IFRS Foundation / ISSB:IFRS S1(一般目的財務報告の利用者に有用なサステナ関連情報の開示要求)
*8 EcoVadis:スコアカードが新規ベンダー選定やRFP/RFQの評価要素として用いられ得ること、低スコア時に是正計画の開始が促され得ること等(公式FAQ)
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。