この記事の3つのポイント
1月14日。
本日は、日本の資源技術の歴史にとって、ひとつの起点となった日でもあります。
1936年1月14日、北海道・上砂川。
三井砂川炭鉱でガス爆発事故が発生し、記録によれば21名の命が失われたとされています。石炭が日本の近代化を支える「黒いダイヤ」と呼ばれていた時代、その採掘現場は常に大きな危険と隣り合わせでした。
この事故は、単なる不運な出来事として片づけられるものではなく、当時の炭鉱技術が抱えていた構造的な課題を浮かび上がらせる出来事でもありました。
当時の炭鉱では、爆薬による発破が一般的でした。
高い生産性を実現できる一方で、メタンガスが滞留しやすい坑内では、点火源となるリスクも避けられません。
こうした保安上の課題を背景に、日本の炭鉱技術の一部では、「できるだけ火花を出さない」「粉塵を抑える」採掘方法が模索されていきます。
その一つが、高圧水で炭層を崩し、水流で運ぶ「水力採掘」という発想でした。
水を使って削り、水と一緒に運ぶ。
この方法は、爆発リスクの低減だけでなく、粉塵の抑制を通じて、じん肺などの職業病対策にも寄与しました。効率だけでは測れない現場の課題に向き合う中で、技術は少しずつ形を変えていったのです。
その後、日本の石炭産業は縮小し、多くの炭鉱が閉山しました。
「水力採掘」という言葉も、次第に聞かれなくなっていきます。
ただ、技術そのものが失われたわけではありませんでした。
「水で固体を運ぶ」「流体の力を制御する」といった考え方は、流体工学や海洋技術といった分野で、別のかたちで蓄積され続けていました。
表舞台から姿を消していただけで、技術の中身は静かに受け継がれていたのです。
時は、21世紀。
舞台は北海道の地下数百メートルから、東京の南東約1,900kmに位置する南鳥島沖へと移ります。
水深は約6,000メートル。
ここに、高濃度のレアアースを含む泥状の資源が広く分布していることが分かってきました。
この「レアアース泥」を深海から引き上げるにあたって、再び注目されているのが、水を介して資源を輸送するという発想です。
泥をスラリー状にし、管を通して揚げるという考え方は、かつて炭鉱で磨かれた流体輸送の延長線上にあります。
深海から資源を回収する方法としては、水中ポンプを用いる方式や、空気を送り込んで浮力で引き上げる方式など、複数の技術が研究・検討されてきました。
現在、南鳥島周辺では、閉鎖系の循環流を用いた揚泥方式を中心に実証が進められています。
一方で、構造の単純さや故障リスクの低さといった観点から、過去に主流とならなかった方式が研究対象として再評価されてきた経緯もあります。
深海という環境では、効率の良さ以上に「止まりにくいこと」「壊れにくいこと」が重視されます。技術の評価軸そのものが、場所によって変わることを示す例ともいえるでしょう。
レアアースをめぐっては、足元ではまず必要量を安定的に確保できるかどうかが最大の関心事になりがちです。
特定地域への過度な依存を見直しつつ、供給リスクをどう抑えるか——これは、多くの企業が頭を悩ませているテーマでもあります。
ただその一方で、欧州を中心とした規制の動きや、顧客からの要請を背景に、「確保できればよい」だけでは通りにくくなる兆しも、少しずつ見え始めています。
資源の量や価格だけでなく、どのようなプロセスを経て調達されたのか。その点が、後から問われる可能性が高まっているのです。
1936年1月14日。
安全性を高めるために、「火」を抑え、「水」を使う方向性が模索された炭鉱技術は、その役割を終えたように見えながら、90年近い時を経て、深海資源開発という文脈で再び語られています。
南鳥島の深海から揚がる泥は、単なる資源ではありません。
それは、過去の事故や現場の課題と向き合う中で積み重ねられてきた技術が、別の時代、別の場所でつながった結果でもあります。
1月14日という日付は、そんな技術の系譜を思い出させてくれます。
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本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。