この記事の3つのポイント
人的資本の開示義務化から数年が経ち、多くの企業でISO 30414などのフレームワークに沿ったレポートが整ってきました。
指標を整理し、数値を追い、外部から見ても「きちんとやっている」報告書が増えたことは、間違いなく前進です。
一方で、サステナビリティ担当者さまやIR担当者さまから、こんな声をお聞きすることも増えています。
「レポートは年々洗練されているのに、現場の手応えがあまり変わらない気がする」
「数字は改善しているのに、組織に余白がない」
この違和感は、決して気のせいではありません。
ISO 30414に代表される人的資本指標は、企業の状態を客観的に把握するための重要なツールです。
ただ、それ自体が人的資本経営の完成形かというと、そうではありません。
たとえるなら、指標は健康診断の結果のようなものです。
数値が基準値を満たしているかどうかは大切ですが、本当に重要なのは、「その身体でこれからどんな負荷に耐え、どんなパフォーマンスを発揮できるのか」という点ですよね。
投資家の視線も、まさにそこに移りつつあります。
不確実性が高まる中で問われているのは、変化に対応し続けられる組織かどうか。その鍵となるのが、社員一人ひとりの内面的な強み、つまり「心理的資本」です。
心理的資本は、近年、人的資本研究の中で注目されている概念で、4つの要素の頭文字を取って「HERO」と呼ばれます。
希望(Hope)とは、単なる楽観ではありません。
目標に向かう意志と、行き詰まったときに別のルートを考えられる柔軟さです。
自己効力感(Efficacy)は、「自分たちならやれる」という感覚。
過去の経験や学習に裏打ちされた、根拠のある自信です。
レジリエンス(Resilience)は、失敗しない力ではなく、失敗しても立て直せる力。
環境変化の多い時代には欠かせません。
そして楽観性(Optimism)は、現実を直視したうえで、それでも前を向ける姿勢を指します。
重要なのは、これらが「性格」ではなく、開発可能な「資産」だという点です。
心理的資本は、意識的な設計と経験の積み重ねによって、高めていくことができます。
ただし、個人の心理的資本を高める施策だけで、組織全体が変わるわけではありません。
ここで立ちはだかるのが、日本企業に根強く残る「上司のインフラ化」という構造です。
現場を見ていると、上司が24時間稼働のサーバーのように、部下の判断や調整、感情のケアまで一手に引き受けているケースが少なくありません。善意であればあるほど、部下は依存し、上司は疲弊します。
(ご参考)
「働いて、働いて」で働き方を括らない社会へ——労働の「らしさ」を疑う (2025年12月9日)
この構造のままでは、部下がいくらHEROを身につけても、発揮する余地がありません。
心理的資本が活きる前に、組織の中で吸収されてしまうのです。
ここまで見てきたように、心理的資本は人的資本経営を次の段階へ進めるための重要なエンジンです。
ただし、それを本当に回すためには、個人の努力だけに頼らない設計が欠かせません。
自律した個人が力を発揮し続けるためには、どんな環境や仕組みが必要なのか。
その答えのひとつが、「心理的ウェルビーイング」という視点です。
次回は、心理的ウェルビーイングを「個人の幸福」ではなく、「経営のガバナンス」としてどう捉えるかを考えます。
なぜウェルビーイングを現場任せにすると、組織の持続性が揺らぐのか。
2026年に向けて、サステナビリティ担当者さま・IR担当者さまが経営と共有したい論点を整理していきます。
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今週もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。