この記事の3つのポイント
年が明けると、少しだけ立ち止まって考えたくなる問いがあります。
「今年、自分たちは何に向き合うべきなのだろうか」。
IRやサステナビリティの現場でも、年初は中期計画の進捗確認や、次の開示に向けた準備が本格化する時期であるものと存じます。
そんなタイミングで、担当者さまから時折聞かれるのが、こんな問いです。
「統合報告書って、結局、何のために作っているのでしょうか」
仕事柄、多くの経営企画・IR・サステナビリティ担当者さまとお話しさせていただくのですがが、この問いへの答えは、ともすれば実務的になりがちです。
「制度対応として必要だから」
「他社もやっているから」——。
それは決して間違いではありませんし、日々の業務に追われる中では、とても自然な感覚だと思います。
ただ、2026年という節目の年を迎えたいま、少しだけ視点を引き上げて考えてみたいのです。
統合報告書は、単なる情報開示の冊子ではなく、自社の経営の自由度を守るための、極めて戦略的なツールになり得るのではないか、と。
なぜ「守る」という話になるのか——その背景にあるのは、市場で評価されている価値と、企業自身が考える本来の価値との間に生じるギャップです。
市場が自社の強みを十分に理解していない。
将来に向けた布石は打っているのに、短期の数字だけで判断されてしまう。
あるいは、課題は見えているのに、その整理や説明が追いついていない。
こうした状態が招く事態は、株価の問題にとどまりません。
「この会社には、まだ語られていない余白がある」
そう外部から見えてしまうこと自体が、経営にとっての不安定要因になります。
価値のギャップが大きいほど、外部からの強い提案や急進的な要求が入り込みやすくなる。
これは理屈というより、現場の実感に近い話かもしれません。
ここで、多くの担当者さまが一度は抱くであろう疑問があります。
「事業ポートフォリオの見直しや、B/Sの最適化まで書いたら、弱点を教えることにならないだろうか」
けれども、実務の現場で見えてくる構図は、少し違います。
不当な揺さぶりを招きやすいのは、弱点がある企業ではなく、弱点にどう向き合っているかが見えない企業です。
統合報告書の中で、
「課題はここにあり、だからこの順番で手を打っている」
「まだ途中だが、ここまでは進んでいる」
そうした認識と時間軸を丁寧に示してしまえば、外部が付け足せる提案の余地は自然と小さくなります。
沈黙は、安全策のように見えて、実は最大のリスクになる。
語ることは、無防備になることではなく、論点を先に固定する行為なのだと思います。
ここで、もう一段だけ踏み込んで考えてみたいことがあります。
それは、「誰に向けて統合報告書を書くのか」という問いです。
実務の現場では、
「統合報告書は機関投資家向けのもの」
「個人投資家には難しすぎる」
そんな前提が、無意識のうちに置かれていることも少なくありません。
けれども、経営の自由度を守るという観点に立つと、この前提は、そろそろ見直すタイミングに来ているように思います。
背景にあるのは、市場環境の変化です。
政府の資産形成支援策や株高の流れを受け、個人投資家の存在感は、ここ数年で明らかに増しています。
加えて、かつて日本株市場の最大の買い手だった日銀は、すでに(国債を含め)持ち高を減らす局面に入っています。
つまり、市場全体として、今は、
「誰が日本株を支えるのか」
という問いに、答えを求められている状況にあります。
足元では、株高を背景に海外の機関投資家が日本株に強い関心を示し、実際に資金を投じています。
これは日本市場にとって、非常に心強い動きですし、企業価値の再評価が進んでいる証でもあります。
ただし、彼らはあくまでグローバルな資本です。
マクロ環境や投資テーマが変われば、合理的に売りに回る存在でもあります。
一方で、時間をかけて信頼関係を築いた日本国内の個人投資家は、同じ行動原理では動きません。
業績の一時的なブレや相場の調整局面があっても、「この会社を応援したい」「この経営を見届けたい」という理由で、株を持ち続けてくれる存在です。
この違いは、平時には見えにくいものの、市場が揺れたときに、はっきりと表れます。
個人投資家が果たす役割への期待が高まっているのは、ある意味で自然な流れだと言えるでしょう。
さらに重要なのは、長く保有してくれる個人投資家が増えること自体が、市場の安定性を高めるという点です。
株価のボラティリティが抑えられれば、機関投資家にとっても投資判断がしやすくなります。
結果として、「個人が支え、機関が入りやすい」状態が生まれます。
個人投資家の存在は、機関投資家と対立するものではありません。
むしろ、両者が補完し合うことで、市場全体の質が高まる構造になっています。
こうした環境変化を敏感に捉え、BtoB企業を含め、昨年あたりから個人投資家向けIRに本格的に取り組み始めた企業も増えてきました。
決算説明会の資料を平易にしたり、統合報告書の語り口を見直したりと、その工夫はさまざまですが、共通しているのは、「読者を広げること」が経営リスクの低減につながるという認識です。
(参考記事)
素材系BtoB企業も個人株主重視へと舵を切った ――USスチール買収やトランプ関税が生んだ新トレンド(2025年8月7日)
だからこそ、統合報告書にとって重要なのは、
個人投資家にも読まれ、機関投資家にも評価される状態を同時につくることであると私は考えます。
機関投資家には、資本効率や投資規律、ROICや時間軸といった冷静なロジックを。
個人投資家には、「この会社は何のために存在し、どんな未来を目指しているのか」という物語を。
これは、内容を薄めるという意味ではありません。
プロが納得する戦略を、個人にも伝わる言葉に翻訳するということです。
この両輪が回り始めると、短期的な数字だけを切り出した提案に対して、
「それは、この会社のストーリーを壊してしまわないか」
という視線が、株主の側から自然と生まれます。
こうした統合報告書の中心にあるのが、CEOメッセージです。
ここで語られる言葉は、単なる年頭挨拶ではありません。
「この会社は、誰の判断で、どんな覚悟で経営されているのか」を映す鏡です。
うまくいっていない現状を、どう受け止めているのか。
株主との対話で、何を突きつけられ、何を変えたのか。
すべてを語る必要はありませんが、逃げていないことは、読み手に驚くほど正確に伝わります。
「この経営陣のもとなら、時間はかかっても変わっていくだろう」。
そう思ってもらえること自体が、企業にとって何よりの支えになります。
統合報告書は、義務として作るものでも、形式を整えるための冊子でもありません。
自社の価値をどう定義し、どんな覚悟でそのギャップを埋めにいくのかを示す、経営の意志そのものです。
守るために、黙るのではなく、語り尽くす。
そして、個人にも届き、機関にも評価される言葉にまで、きちんと翻訳する。
今年の統合報告書づくりが、
「会社を守る」という言葉の意味を、少しだけ更新するきっかけになれば幸いです。
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本年もどうぞよろしくお願いいたします。
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。