DX / リスクマネジメント / 人材戦略 / 人的資本開示
この記事の3つのポイント
本記事は、2025年11月12日付ブログ記事『【ニュース走り書き】Suicaのペンギン引退、その裏にある経営戦略のお話——JR東はなぜ今「信頼のインフラ」へ踏み出すのか』の続編です。未読の方は、あわせてご覧いただくと、より理解が深まります。
前回の記事で採り上げた、「社会インフラとしての信頼設計」に関するJR東日本のお話は、企業が社会全体の仕組みを支えるデータ活用の話でした。
今回はその視点を「人を支えるインフラ」へと移してみます。
今、日本企業が直面している最大の課題のひとつは人手不足と現場の疲弊です。
日本経済新聞によれば、人手不足を理由に倒産のリスクを抱える企業は1万3500社に上り、飲食業の4分の1が時短営業を余儀なくされているといいます。
(ご参考記事)
人手不足倒産、1万3500社が「予備軍」 飲食や介護に急増リスク(日経電子版、2025年11月11日)
飲食業4分の1が時短営業 根付いた「タイパ」に縮小均衡の足音(日経電子版、2025年11月12日)
単に人を増やすことでは解決しないこの問題に対し、
いま必要とされているのは「データで人の声を聴く」視点なのかもしれません。
多くの企業では、これまでDXを業務効率化やコスト削減の手段として捉えてきました。しかし人手不足が常態化する現在、その延長線だけでは従業員の働きやすさや現場の持続性まで支えきれない局面も増えています。
上でご紹介した記事「飲食業4分の1が時短営業」においても、働く時間を短縮しても生産性を上げなければ賃上げは続かないと指摘されており、「人を減らす」から「人を活かす」への転換が求められています。
さらに、2025年9月の日経電子版記事「消える接客に成長のタネ 最低賃金上昇は人手不足克服の好機」では、無人化・省人化が進むなかでも、たとえばスマート無人営業の導入によってどこに人を配置すべきかを見極めるような、人が関わる意味や配置価値をデータで再設計する動きが紹介されていました。
こうした変化に対し、あるいは、人手不足の深刻化を踏まえて、「起きてから慌てる」のではなく「離職を未然に防ぐ」観点から、トリドールさん(以下、トリドール)は興味深い実践を進めています。
リリースや報道によれば、同社では、店舗スタッフの声を定期的に収集し、働きがいやストレスの状況を数値化。人事部門がリアルタイムで把握し、店長や本部が改善策を共有する仕組みを構築しています。
この仕組みは、従業員を、いわば「現場の知恵と感情のデータ提供者」と位置づけている点に特徴があります。たとえば混雑、人員配置、厨房環境、休憩取得など、日々の小さな声が可視化されることで、「辞めたくない職場」=「顧客が戻りたい店舗」につながる好循環が生まれつつあるように見えます。
従来、従業員エンゲージメントを測定する調査は年1回などの定点型が主流で、「とって終わり」になりがちでした。結果が出る頃には現場の状況が変わり、改善サイクルが回らないという課題があったのです。
トリドールが導入しているのは、その課題を乗り越えるパルスサーベイ的DX。
週次・月次で、あたかも現場の体温や脈拍を測るかのように声を拾い、経営にリアルタイムで反映させる仕組みです。
たとえば、スタッフの回答傾向から忙しい時間帯やメニュー変更後の混乱を察知し、人員配置や教育計画に反映。あるいは季節要因によるストレスの増減を分析し、職場環境改善や報奨制度の見直しにつなげています。
重要なのは、データを集めること自体ではなく、それを、経営が動くための情報に変換する意図を最初から持っている点です。CXとEXを統合的に捉えるという意味でも、このモデルは接客業のDXとして象徴的な示唆を与えていると言えるでしょう。
こうしたパルスサーベイ型の仕組みを導入する際に重要なのは、「データを集めること」とあわせて「どのように守り、どう使うか」を設計することです。
頻度高く従業員データを収集するパルスサーベイでは、通常の人事情報よりもリアルな感情や健康・人間関係といったセンシティブな要素が含まれがちです。だからこそ、以下のポイントが鍵になります。
① 収集目的と利用範囲を明確にする(目的外利用の禁止)
改善のために使うという前提を明確にし、評価・処分・配属などへの流用を行わないことを原則化する。
この「安心の前提」があるかどうかで、回答率とデータの質は大きく変わります。
② 匿名性と再識別リスクのコントロール(小規模店舗への配慮)
少人数店舗では特に再識別リスクが高まります。一定人数以上で集計し自由記述を匿名加工するなど、技術的・運用的な両面での再識別防止策が欠かせません。
③ データの保存期間と削除ポリシー(ライフサイクル管理)
蓄積し続けるとリスクが高まるため、保存期間を定め、目的達成後は自動削除する。分析に必要な統計情報のみを残すという方法もあります。
④ アクセス権限と説明責任(誰が何を見るかを透明化)
管理職であっても全回答を閲覧できないようにするなど、粒度の細かいアクセス権限を設定する。
さらに、「自分の声がどのレベルで誰に見えるのか」を従業員に見える化することで、心理的安全性が確保されます。
⑤ AI・アルゴリズムの透明性(将来のリスクへの備え)
将来的にAI分析を導入する場合、モデルの偏りやバイアスが判断に影響しないよう、アルゴリズムの透明性と説明可能性を確保する必要があります。
⑥ 管理職への配慮
従業員と同じく、管理者も「評価されている」と感じやすい領域です。管理職への説明やサポート、研修を用意しておくことで組織全体の心理的安全性が保たれます。
人手不足、時短営業、無人化——これらはすべて「人をどう活かすか」という共通の課題につながっています。企業がデータを活かす目的が「生産性」だけでなく、「人の働きやすさ」や「現場の幸福感」にシフトしていくとき、そこにサステナビリティ経営の新しい可能性が生まれるのではないでしょうか。
人の声を経営の体温計と位置付けるかのようなトリドールの取り組みは、その意味で大変学びの多いものであると思いました。
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本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。