この記事の3つのポイント
2025年10月17日、ロンドンで開かれた国際海事機関(IMO)の会合。
世界の船舶に対して、排出量に応じた「炭素課金」と「報奨金」を組み合わせる新制度が採択されるはずでした。
しかし最終日、米国や産油国などの反対により、採決は1年間延期に。
この決定は、単なる手続き上の遅れではありません。
海運の脱炭素をめぐる「世界の潮目」が変わりつつあることを示しているように思われます。
(参考ニュース)
日経電子版「船の排出規制が暗礁に 国際海事機関、米反対で採決1年延期」(2025年10月18日)
海運の排出削減ルールは、国連のもとにあるIMOが策定を主導してきました。
今回の制度は、排出の多い船が負担金を払い、削減努力をした船に報奨を与えるという仕組み。すでに4月の会合で大枠合意されており、採択は時間の問題とみられていました。
しかし直前、米国のトランプ政権が反対声明を発出し、同盟国や産油国に「反対票を投じよ」と呼びかけたのです。結果、延期を支持する国が多数派となりました。
気候変動対策が、いまや外交や通商交渉の一部として取引される時代。今回の出来事は、その象徴のようにも見えます。
環境政策は、理想や正義だけで動くものではない。
そのことを、改めて突きつけられたように思います。
IMOの排出規制は、当初2027年発効予定でした。
今回の採択延期により、制度のスタートは早くても2028年以降にずれ込む見通しです。
「たった1年の遅れ」と思うかもしれません。ですが、影響は意外に大きいと私は考えます。
というのも、海運の船舶は1隻の寿命が20年近くあるため、「いま何を造るか、どの燃料で動かすか」の判断が、2040年代の排出量を左右するのです。
そんな中で、炭素価格や報奨スキームの制度設計が宙に浮いてしまえば、企業は燃料転換や船隊投資の判断を先送りせざるを得なくなります。
造船、燃料供給、融資といった周辺業界も様子見に入り、結果として投資の連鎖が鈍化する——結局のところ、「いつ制度が決まるかわからない」という状態は、企業の動きを大きく鈍らせてしまいます。
とはいえ、「国際的な合意が先延ばしになった=脱炭素が止まる」わけではありません。
むしろ、すでに別の動力が働き始めていることにも注目すべきでしょう。
たとえば欧州では、海運が排出量取引制度(EU ETS)の対象となり、5000総トン以上の船にCO₂排出枠の購入が義務づけられました。
2025年1月1日からは、燃料の炭素強度に上限を設けるFuelEU Maritimeも全面適用されています。
国際金融では「ポセイドン原則」のもと、船舶融資の排出強度が測定・公開される時代に。
荷主企業もスコープ3排出(とくに輸送)への関心を強め、低炭素輸送を選ぶ傾向が高まっています。
国際ルールが整わなくても、金融・地域・顧客が“静かに、確実に”脱炭素の圧力をかけているのです。
地政学の風が荒れても、潮流は別の方向から前へと進んでいます。
海運は、世界のCO₂排出のわずか2%。
でもその2%が、世界貿易の約9割を支えています。
この分野の脱炭素が遅れれば、世界全体のカーボンニュートラル目標も遠のいてしまうでしょう。
その意味で、今回のIMO規制延期は、たしかに痛手です。
ですが、方向性そのものが否定されたわけではありません。
むしろ、欧州の制度、国際金融の枠組み、そして荷主や投資家の期待といった複数のルートから、「気候との整合」を求める動きは進み続けています。
少し視点を変えれば、今回の延期は「制度を練り直す1年」と捉えることもできるかもしれません。
地政学的対立が可視化された今こそ、制度の透明性や公平性を高める議論が必要です。
経済発展段階の異なる国々、船の種類や用途の多様性、国際物流のリアルをふまえて、どんな設計が実効性を持つのか——。
合意が難しい今だからこそ、真に納得感のあるルールが生まれる可能性もあるのではないでしょうか。
「良い制度を作るには熟成も必要」——そういった期待を持ちながら、今後の動向を見守りたいと思います。
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今回もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。