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トランプ薬価交渉に見る「意図せざるサステナビリティ」——誰のためのアクセス確保か

ニュース

この記事の3つのポイント

  • 米政権による薬価引き下げは、政治的アピールである一方、結果的にアクセス格差を可視化した
  • 「ラストリゾート」とされた米国市場にも、政府交渉という制度的波が及びつつある
  • 製薬企業に問われるのは、政治に翻弄されない説明力

「安くせよ」は誰のためか

トランプ米大統領が、米ファイザーに続いて英アストラゼネカと薬価引き下げで合意した――そんなニュースを見て、「医薬品アクセスが改善するのでは」と感じた方もおられるかもしれません。

ですが実際には、これは低所得者向けの公的医療保険(メディケイド)*1と新薬に限った値下げで、民間保険に加入する米国民(約66%)は対象外となっています*2

この数字を見れば、本件が、医療の公平性というよりは「なぜアメリカ人だけが同じ薬に高い金を払うのか」という国民の不満に応える政治的アピール——「アクセス」よりも価格の国内正義を掲げた政策だったのだなあということが見えてきます。

 

「ラストリゾートの米国」で起きたこと

このニュースを見て、トランプ大統領はとんでもない横紙破りだ!と感じた方もおられるかもしれません。

でも、実はそうではありません。
今回の薬価交渉は、米国が「普通の国」になろうとしているという見方もできるのです。

 

日本をはじめ多くの国では、医薬品の価格は政府が交渉・決定します。
日本では中央社会保険医療協議会(中医協)が薬価を決め、
ドイツではAMNOG制度、
英国ではNICEが費用対効果をもとに公的保険と交渉します。

つまり、「政府が医薬品の価格交渉をする」のは世界では”常識”だったのです。

 

「例外」だったのはむしろ、これまでの米国でした。

米国では公的保険が高齢者(メディケア)と低所得層(メディケイド)に限られ、薬価は民間保険会社やPBM(薬剤給付管理会社)との契約で決まる――この自由価格モデルこそが、米国市場での製薬業界の高収益を支える「米国例外主義」でした。

だからこそ、大手製薬会社にとって、米国は「ラストリゾート」でした。
他国で価格が抑えられても、最終的にここで利益を確保できるという意味で。

ですが、その構図は今、大きく揺らいでいます。

 

米国例外主義の終わりがもたらすものは

今回報じられているのはトランプ政権による「MFN価格*3」導入方針ですが、こうした薬価抑制の流れはトランプ政権だけの特異な動きではありません。

オバマ政権期の医療保険改革法(ACA)で芽吹き、トランプ政権が「アメリカ第一主義」の名のもとに強硬な価格交渉策を打ち出し、その路線を制度として定着させたのがバイデン政権のインフレ抑制法(IRA)です。つまり、米国は政権交代を経てもなお、医薬品価格の制度的統制へ向けて動き続けているのです。

米国が世界標準の医療制度になろうとしていることは、
製薬業界にとっては「例外の終わり」を意味します。

世界中どこに行っても薬価が統制される――そんな時代が現実になりつつあります。

 

「薬価交渉の政府化」― 米国市場における新たなリスク

製薬会社にとって薬価リスクは従来から存在していましたが、交渉相手は主にインシュアラー(保険者)やPBMなど民間の保険制度内のプレイヤーでした。
市場原理に基づく交渉の範囲で、価格圧力がかかるという構図です。

しかし、トランプ政権のMFN価格方針や、バイデン政権のIRAによる政府交渉権の導入は、米国市場において初めて、薬価決定の主導権が民間から政府へ移ることを意味します。そしてこれは、(欧州や日本など、すでに公的保険制度を通じて価格が管理されてきた国々に比べると)米国市場における新たなリスクといえます。

 

これまで「自由市場」で高収益を確保してきた米国製薬業界にとって、政府交渉はビジネスモデルそのものを変える圧力です。それは単なる価格調整ではなく、

「公的資金をどう使い、誰が研究開発費を負担するのか」

という社会的分配の問題へと発展します。

この変化によって、製薬企業は次の問いに答えざるを得なくなるでしょう。

 

  • 政府による薬価引き下げは、どの層のアクセス改善につながるのか
  • R&D費用はどの国・どの所得層が負担しているのか
  • 値下げ圧力の中で、企業として再投資力をどう維持するのか

 

結びにかえて ― 政治を超えて問われるアクセスの本質

トランプ氏が薬価を下げたのは、おそらく「アクセス」のためではないでしょう。

しかし、その短絡的にも見える政策が結果として私たちに投げかけたのは、

「薬は誰のために、どのように届くべきか」

という、まさにサステナビリティの核心でした。

 

医薬品のアクセスをどう確保するか。
この問いは、製薬企業だけでなく、社会全体に返ってきています。

次回予告

次回は、こうした制度変化の背景にある製薬産業の構造転換――低分子からバイオ医薬へ、垂直統合から分業型エコシステムへ――をとりあげます。

「安さ」ではなく「正当さ」で支える医薬のサステナビリティとは何かを、産業の内側から考えていきます。

 

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本日もお読みいただき、ありがとうございました。

それではまた、次回のブログで。

 

執筆担当:川上 佳子


*1 米国では2024年時点で、民間医療保険の加入は約66%(公的保険35.5%、うちMedicaid 17.6%)。いずれも年の一部または全期間の加入者ベース(出典:Health Insurance Coverage in the United States: 2024

*2 出典:日経電子版「米政権、英アストラゼネカと薬価引き下げで合意 ファイザーに続き」(2025年10月11日)

アストラゼネカは米市場へ投入する新薬に加え、低所得者向けの公的医療保険「メディケイド」加入者に提供する同社の処方薬に値引きしたMFN薬価を適用する。
(中略)

ファイザーの9月合意と同様に、MFN薬価の適用はメディケイドと新薬に限られた。米国勢調査局によると、24年時点で米人口の66.1%は民間医療保険に加入しており、メディケイド加入者は全体の17.6%だった。MFN薬価がどの製品に適用されるかは明らかになっていない。

*3:MFN価格とは、他の先進国での提供価格の中で最も安い価格

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