この記事の3つのポイント
2025年9月23日から始まったICAO(国連の国際民間航空機関)総会では、国際線パイロットの上限年齢を「65歳→67歳」に引き上げる提案が正式議題に上りました。
<参考記事>
日経電子版「不足する国際線パイロット 定年68歳未満に上げ協議 国連機関」(2025年9月24日)
日経では
定年引き上げが議題になることについてJAL運航企画部の熊谷由起郎グループ長は「当社として歓迎したい」とする。ANAは「国際線拡大のための人財確保につながり大いに期待する」としている。
との声が紹介されていましたが、
一方で、海外のメディアによれば*1、本件には、安全と国際整合性等の観点から懸念を示す声も多いようです。背景には、安全(医学的適性・運航の冗長性)と国際整合性の観点もあるようです。一時的な人員不足への対応としては理解できるものの、持続的な解決策にはならないとの考え方です。
この結論は、実はエッセンシャルワーカー不足全般にも通じる大切な示唆を含んでいます。
パイロット不足は世界的に深刻です。
大手メーカーの予測では、今後20年で60万人以上の新規パイロットが必要になるとされます*2。
定年延長は、確かに、その場しのぎには効きます。2年間の延長で、当該年齢層の退職を先送りでき、数%規模の人員緩和にはつながるでしょう。ですが、その効果は一過性で、構造的な不足を埋めることはできません。
さらに航空業界特有の課題として、年齢に伴う健康リスクや反応時間、安全冗長性(二人操縦の維持)が不可欠であり*3、「高齢でも働ける」=「安心して任せられる」ではないのです。
これはそのまま「人材戦略と品質・安全のネクサス」を物語っています。
こうした構造は、医療・介護、物流、海運といった他のエッセンシャルワーカー不足にも通じます。
医療・介護の分野では、2026年度までに約25万人の追加確保が必要と見込まれています*4。特に介護現場では、移乗や夜勤など身体的な負荷が大きく、年齢の高い労働者にとっては厳しい作業環境になりがちです。こうした中で、定年を延ばすだけでは離職や事故のリスクが増す可能性があり、働き方の再設計が不可欠です。
物流業界においては、いわゆる「2024年問題」によってトラックドライバーの時間外労働に上限(年960時間)が設けられ、すでに構造的な供給不足が顕在化しています。経産省・国交省・農水省「持続可能な物流の実現に向けた検討会」では、2030年までの物流需給ギャップについて、ドライバー不足と2024年問題の影響をあわせて、輸送能力の34.1%(2019年比)が不足すると推計しています*5。
高齢ドライバーに頼って延命的に対応するだけでは限界があり、モーダルシフトの促進や自動運転回廊の整備といった抜本的な改革が必要となるでしょう。
海運業界もまた、士官級人材の不足が長年の課題となっています。とりわけ近年は、アンモニアやメタノールといった新しい代替燃料への対応も求められており、これらを安全に扱えるスキルをもった人材の育成についても急務と考えられます。単に定年を延ばして人数を確保しても、こうした新技術に対応できる「質」の確保が追いつかなければ、結果的に安全性を損なうリスクにつながりかねません。
いずれも、定年延長だけでは解決にならない構造的課題を抱えており、人材は、単なる「頭数」ではなく「品質・安全を担保できる人材」であるのかという視点を満たすことが共通して求められます。
サステナビリティの視点から言えば、定年延長は時間を買う応急処置にすぎません。
重要なのは、定年延長で稼いだ時間をどのように活かすのか
企業や産業全体として取り組みたい施策としては、たとえば下記があるのではないでしょうか。
1. 育成パイプラインの拡充
- 養成枠や訓練容量の増強
- 資格取得までの時間とコストの可視化
- 海運での代替燃料訓練、航空でのシミュレーター枠増設など
2. 定着と働き方設計
- 年齢や健康、家族の状況などに応じたタスクシフト
- 介護では移乗補助機器や夜勤再設計、物流では荷役作業の分業化
- 高齢者雇用の健康・安全支援プログラムの整備
3. 安全・健康KPIの開示
- 年齢別の退職率、負傷率、復職率を示し、延長の実効人数を定量化
- ヒヤリ・ハットや重大事故率など、品質・安全に直結する指標も併せて開示
4. 倫理的な人材獲得
- 医療や介護での海外人材採用は、WHOのセーフガードリストを遵守
- 相手国への教育支援や協力を含む、倫理的枠組みの整備
投資家やESG評価機関は、単なる「人手不足への対応」ではなく、人材戦略が品質・安全をどう支え、企業価値につながっているかを見ています。
定年延長について、投資家やESG評価機関が受け入れやすい説明としては、たとえば下記のような書き方があるのではないでしょうか。
定年延長は、短期的な緩和策
中長期的な持続性確保として、育成・定着・再設計を行っている
なお、倫理的採用=国際社会との整合性確保を実施している
開示においては、「任せられる人」を確保している証拠として、品質・安全KPIを示している
つまり、「(定年を)延長しました」で終わるのではなく、「延長で稼いだ時間を、品質・安全を担保する持続的な人材戦略にどう活かしているか」を説明することが重要と考えます。
ICAOがパイロット定年延長に慎重である背景には、安全と国際整合性を軽視できない現実がありました。これはそのまま、医療や物流、海運などのエッセンシャルワーカー不足にも当てはまります。
延長はゴールではなく、次の一手を考えるスタートラインです。
その「稼いだ時間」をどう使うかについて、本日のブログが、貴社の取り組みと開示を見直すきっかけのひとつとなりましたら幸いです。
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本日もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
*1 例:Reuters「Global airlines group proposes raising international pilot retirement age to 67」(2025年8月28日)
*2 出典:ボーイング「Pilot and Technician Outlook 2025-2044」
*3 出典:The Guardian「Proposals for commercial planes to operate with one pilot shelved after critical EU report」
*4 出典:厚生労働省「第9期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数について」(2024年7月12日付「第9期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数について」の別紙1より)
*5 出典例
①国土交通省 持続可能な物流セミナー2024「2024年問題」の現状と課題(2024年10月31日、首藤若菜(立教大学)
②国土交通省「物流の2024年問題について」(2023年10月20日、株式会社NX総合研究所 常務取締役 大島弘明)
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。