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半年で壊す建築には本当に意味がないのか――大屋根リングが語りかける「形なきレガシー」の価値

サステナ開示をめぐる動向 / ニュース / 価値創造ストーリー

この記事の3つのポイント

  • 万博会場の大屋根リングは「350億円かけて半年で壊す無駄」とも批判されてきた
  • しかし2025年9月、北東一部(200メートル)を保存し、緑地として整備する方針が発表された
  • 1970年万博との比較を通じ、「形なきレガシー」が持つ価値を読み解く

森美術館で考えた「レガシー」のこと

森美術館で開催中の『藤本壮介展:原初・未来・森』に行ってきました。

樹木のように広がる建築。風や光を受け止めるかのような、繊細で伸びやかな構造。自然と人との関係性を問い直す彼の建築とその発想の根幹に関する展示を見ながら、私の頭の中に浮かんでいたのは、批判にさらされ続けてきた、あの「大屋根リング」のことでした。

2025年大阪・関西万博の象徴として建設中の大屋根リング。設計・監修を藤本氏が担っていますが、メディアやSNSではこんな声を多く見かけました。

「350億円もかけて、たった半年で壊すなんて無駄だ」

「残らないならレガシーにならない」

「太陽の塔のように恒久的に残すべきだ」

 

ですが…

レガシーとは本当に“目に見えるもの”だけなのでしょうか。

形に残らないものは、本当に、何も残さないのでしょうか。

 

大屋根リングをめぐる批判と変化

批判は大きく4つに整理できるように思います。

 

■コスト批判
約350億円という巨額を、わずか半年で壊す建築に投じるのは無駄だという意見

■レガシー性への疑義
太陽の塔のように恒久的に残らなければ、未来に何も残らないという見方

■環境負荷の懸念
木材の大量使用による森林資源への負荷や、解体後の処理への不安

■大型プロジェクト不信
五輪などと同様に、費用膨張→解体→忘却という失敗の繰り返しになるのではないか、という懐疑

 

なお、大屋根リングは最終的に、北東200メートルを保存し、公園・緑地として整備する方針が正式に合意されたとの報道が、本日(2025年9月17日)ありました。

 

<ご参考記事>
大屋根リング「北東の200m」を保存、周辺を公園・緑地として整備へ…改修・管理費は計55億円(読売新聞オンライン、2025年9月17日)

 

人が現在と同じように上ることができる状態で維持されるとのことで、「すべて消える建築」という前提はすでに大きく変わりつつあります。

今後は、「壊すか残すか」ではなく、「どう生かし、何を残すのか」という問いが、より重要になっていくのかもしれません。

 

「形ではなく、場が遺産になる」という視点

さて。

上述のような批判に対して、藤本氏や有識者からは異なる視点が提示されています。

 

■人が集い、歩き、つながる体験こそがレガシー
大屋根リングは、数千万人が共有する「集う」「歩く」体験の装置。その記憶こそが未来に残るものになる*1

■循環可能性を実証する建築
木材の再利用を前提とした設計は、解体=無駄ではなく、循環型建築の象徴*2

■ユニークさが文化を残す
「ノーマルなものは残らず、ユニークなものだけが文化遺産になる」と語るのはコシノジュンコ氏。形が消えても記憶は残る*3

■舞台への投資という考え方
費用は「半年間で何千万人が使う体験の舞台」への投資であり、社会実験の場づくりとも言える*1

 

さらに今回、一部が「人が上れる形」で保存されることにより、藤本氏の原初的な建築思想――「人が動き、つながり、自然と対話する“場”」というコンセプトが、閉幕後も継続的に体験されることになります。

レガシーとは、単に「残すこと」ではなく、「生かし続けること」でもあるのかもしれません。

 

万博は「形」から「体験」へ――1970年との比較

こうした議論をより深く考えるには、1970年の大阪万博と比較するのが有効ではと考えます。

  • 1970年は、高度成長の真っただ中。初めて「外国」と出会う場であり、太陽の塔やパビリオンが“未来の象徴”として記憶されました。

 

  • 2025年は成熟社会。今や日本は、世界と接続された社会の一員として「何を発信できるか」が問われています。大屋根リングは象徴ではなく、つながりを生む「空間の仕掛け」として設計されています。

 

時代背景は違えど、共通しているのは「日本での体験が、世界に広がる」という点ではないでしょうか。

1970年には、来日した多くの外国人が日本製品や技術への信頼を母国に持ち帰りました。
そして2025年には、公共空間やサステナブル建築の新しい在り方が、世界に持ち帰られるかもしれません。

体験を輸出する時代へ?

これは、「物を輸出する時代」から「体験や思想を輸出する時代」への転換をあらわしているのではないかと、私は考えました。

 

1970年:日本の産業力を体感した人々が「日本製=信頼」を世界に広めた

2025年:大屋根リングで“公共空間”や“循環設計”を体験した人々が、それを各国の都市・建築・サステナ戦略に還元していく可能性がある

 

形がすべて残るわけではなくとも、記憶や経験は世界中に広がり、やがて誰かの社会実装へとつながっていく――それもまた、現代のレガシーのかたちかもしれません。

サステナビリティへの示唆

こうした視点は、企業のサステナビリティ開示や価値創造ストーリーにも通じるものであると考えます。

レガシーを「形の持続」だけで捉える時代は過ぎつつあります。
むしろ問われているのは、「その活動が、どんな記憶を生み、どんな文化やつながりを社会に残すのか」ということ。

サステナビリティ開示や統合報告でも、「人との関係性」「社会との共創」「体験の蓄積」――つまり、形なきレガシーの視点が、今後ますます重要になるのではないでしょうか。

 

問い続けることが、レガシーになるのかも

藤本壮介氏は、このプロジェクトを引き受けた理由についてこう語っています*2

 

東京オリンピックの新国立競技場問題のあとで、クリエイターが国家プロジェクトに関わることに躊躇する空気がありました。だからといって断るのも違う。まずはいまの時代に万博をやる意義に対して、自分なりに納得できるかを考えてみようとしました。…(中略)… 世界中の国々が集まる万博という枠組みは、いまこそ大きな意味を持つと感じたんです。

 

この言葉に、私は大いに勇気づけられました。

サステナビリティやDEIのテーマをめぐってさまざまな意見が飛び交い、逆風を感じる場面も少なくありませんが、「自分で納得できるまで考える」ことが許され、むしろ求められているのはこの分野に携わる醍醐味だと改めて思えたからです。

 

迷い、問い直し、考え抜く。
そうして辿り着いた言葉や行動が、未来の誰かの記憶に残る。

今回の一部保存の決定もまた、「何を残したいのか」を社会全体で問い続けるプロセスだったのかもしれません。このプロセス自体も私たち一人ひとりが社会に残す「形なきレガシー」ならば、迷いと議論に満ちた「大屋根リング」には、その意味でも大いに意味があったと言えるのではないでしょうか。

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本日もお読みいただき、ありがとうございました。

それではまた、次回のブログで。

 

執筆担当:川上 佳子


*1 東京大学生産技術研究所 林憲吾研究室のブログのご見解を筆者が解釈したもの。

*2 Pen(ペン)2025年10月号[特集:いまこそ知りたい、建築家・藤本壮介]藤本氏インタビューより

*3 日経電子版『コシノジュンコさん「ユニークなものが万博遺産、ノーマルは残らず」 MESSAGE 戦後80年 2つの万博・五輪』(2025年9月16日)

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