早いもので、本日は金曜日。
人的資本(多様性)をテーマにお話してきた今週をしめくくるブログとなりました。
今回は何を書くべきか、いろいろと考えたのですが、やはりこれをお伝えしたいと思ったことを本日のタイトルとしました。少しの時間、お付き合いいただけましたら幸いです。
突然ですが、「パイプライン」という単語を聞いたことはおありでしょうか?
マーケティングでは「(段階ごとの)見込み客」のような意味で用いられる用語であり、製薬会社では、医薬品等の研究開発初期段階から販売に至るまで、自社が有している研究開発ラインアップの一覧を「(研究)開発パイプライン」と呼んでいたりします。
さて、この“パイプライン”という単語ですが、実は「女性版骨太の方針 2024」でも使われているのです…こんなふうに。
プライム市場上場企業を対象とした女性役員比率に係る数値目標の達成に向けて、役員候補となる女性人材のパイプラインを構築するため、企業における女性の採用・育成・登用を強化する。
役員候補となる女性人材のパイプライン構築に向けて、ロールモデルとなる女性役員等の事例集の作成等、啓発コンテンツの作成や情報提供を行う。
さらに、企業における女性人材育成のパイプライン構築を促進し、役員への女性の登用を推進していくためには、リスキリングにおいて、経営層に求められるスキルの習得が行われることも重要である。
パイプラインは「人」についての話に使う言葉ではないと個人的には思っておりますが…そういった感想は横に置いておくとしまして:
“役員候補となる女性の層”について説明するときに「パイプライン」という単語が使われていることに、「人的資本開示」の課題――少なくとも現時点での課題が透けて見えるのではないかなぁと、私は思っています。
人的資本に関する開示は、欧州(NFRD→CSRD)では人権を含むものとなっているのですが、日本の人的資本開示は、2020年公表の「人材版伊藤レポート」というその出発点からして、経済や経営の色合いを濃くまとっていました*1。
その後、2022年8月に内閣官房の非財務情報可視化研究会が公表した「人的資本可視化指針」資料には、人的資本開示事項には「価値向上」と「リスクマネジメント」の両面があると書いてはあるのですが(下記ご参照)、
出典:非財務情報可視化研究会「人的資本可視化指針」
- 人権に関する明示的な言及はない
- 開示が義務化された3つの指標*2は「価値向上」の色合いが強い(とされている)ものだった
という事情に加え、
人権=「ビジネスと人権」=人権DD対応、となってしまっている
との状況もあって、
日本においては、人的資本開示は経済・経営の文脈(のみ)で語るもの、との理解や実践が「一般的」になってしまっていると私には見えており*3、先にご紹介しました「パイプライン」という言葉もそのあらわれのひとつなのではと考えている次第です。
約1年前(2023年7月24日~8月4日)、国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会のメンバーが来日し、日本政府や企業の人権への取り組みについて聞き取り調査をおこないました。(芸能事務所をめぐる事件とあわせて報道もなされたため、記憶に残っているという方もいらっしゃるかもしれません)
その訪日調査の最終報告書*4 ではたとえば、昨日のブログでも採り上げた男女賃金格差についても「人権」の文脈で、次のように述べています。
⽇本のジェンダーギャップ指数のランキングが2023年時点で146カ国中125 位と低いことを受けて、作業部会は、なかなか縮まらない⽇本における男⼥賃⾦格差は憂慮すべき事実であると指摘します 23 。⼥性の正社員労働者の所得は、男性 の正社員労働者の所得の75.7%にすぎません 24 。更に、⼥性は補助的な仕事や有期 雇⽤、パートタイム労働などの役割に制限されることが多く、その結果、キャリ アアップの機会が限られ、福利厚⽣も限定的です。⼥性は⾮正規労働者全体の68.2 %を占めているにも関わらず 25 、男性の⾮正規労働者の80.4%の賃⾦しか稼いでいません。⽇本政府が⼤企業を対象に、男⼥賃⾦格差を開⽰するよう義務付けたこと 26 を、作業部会は評価します。
さて、長々とお話してきましたが、
私が本日お伝えしたいのは、
多様性(ダイバーシティ)について説明する際、人権問題の意識も忘れない
でいられるのは、もしかすると企業内でサステナビリティ担当者さまだけかもしれない…ということです。
経営トップ層や経営企画、あるいは人事など、直接の担当部署さまから経済/経営の観点が貫かれた「人的資本開示」の原稿があがってきたとき、「人権」の側面も加味して、どのようにサステナビリティレポート全体としてのバランスをとるのか*5、そこには、サステナビリティご担当者さまの重要な役割があるように思われるのです。
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今週もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
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*1: 2022年に発表された「人材版伊藤レポート2.0」のまえがきには下記の記載がありました。
…こうした問題意識から、2019 年に上記の研究会が組成され、それが「人材版伊藤レポート」へとつながった。座長を任された私は、従来のパラダイムを引きずった議論は生産的ではないし、エキサイティングでもないと判断し、新たな視点を持ち込むことにした。
第1は、コーポレート・ガバナンス改革の文脈で捉えること。日本は2010年代に入りガバナンス改革を進めてきた。人事・人材戦略もそうした大きな枠組みの中で議論する必要があった。
第2は、持続的な企業価値創造という文脈で議論すること。今や企業価値の決定因子は有形資産から無形資産に移行した。その無形資産の中核が紛れもなく人材である。したがって、人材の価値を高めれば,無形資産の価値が高まり、それが企業価値を持続的に押し上げることになる。
第3は、人事・人材変革を起こすのに、資本市場の力を借りようと試みた。なぜなら先進的な投資家は近年、人事・人材戦略に強い関心を寄せている。その証拠に人事部門の責任者(CHRO)と直接対話を始めている機関投資家も少なくない。今まで見られなかった光景である。こうした観点から、代表的な投資家の方たちに研究会のメンバーになっていただいた。
出典:「人材版伊藤レポート2.0」p2 「人材版伊藤レポート2.0の策定に寄せて」
*2: 2023年3月期の有価証券報告書から、「従業員の状況等」でダイバーシティにかかわる3つの指標(女性管理職比率、男性育児休業取得率、男女間賃金格差)の開示が求められるようになりました。
*3: ISSBが2024年4月に発表した「今後2年間で主に取り組むテーマ」は「生物多様性・生態系および生態系サービス(BEES)」と「人的資本」の2つであり、「人権」は入りませんでした。その意味では“日本だけ”ではないのかもしれません…。
*4:訪日調査の最終報告書は今年(2024年)5月28日に公表されたのですが、7月1日には、ヒューマンライツ・ナウとビジネスと人権リソースセンターによる日本語訳(仮訳)も発表されていますので、よろしければご参照ください。
*5:どのように「バランスをとる」かは、もちろんケースバイケースであると存じます。(「人権」ということばを使わないとしても、書きぶりでその配慮をにじませることも可能ですし…)
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。