2025年5月、TNFDは初めてのガイドシリーズとなる『Asking Better Questions on Nature(自然に関するより良い問いかけ)』の第1弾を発表しました。
これは取締役会(ボード)のためのガイドで、企業の「自然との関わり方」に関する重要論点を炙り出し、経営に自然の視点を織り込む手助けをすることがねらいです。
このガイドには、取締役が経営陣に対して投げかけるべき12の重要な質問が提示されています。いずれも既に気候変動や自然資源の課題に取り組み始めている有力企業のボードメンバーたちとの議論からまとめられたもので、実践的かつ洞察に富む内容になっています。
それでは、このガイドで示された「より良い質問」とは具体的にどのようなものなのでしょうか。大きく分けると、質問は次の4つのテーマに分類できます。それぞれ順番に見ていきましょう。
最初のテーマは、「自社のビジネスと自然との関係を全体的に把握すること」です。
言い換えれば、自社がどのように自然に依存し、どのような影響を与えているのかを俯瞰する問いかけです。
具体的には次のような点を考えます↓↓
たとえば原材料やエネルギー源として自然資源に頼っている部分はどこか、事業活動によって排出や汚染など環境へのインパクトを与えている部分はないか、といったことです。
(例:食品会社であれば農作物や水資源への依存と、自社の工場排水や農業由来の環境負荷を洗い出す)
たとえば重要な原材料が生態系の悪化で手に入らなくなるリスクはないでしょうか。反対に、環境に優しい製品への需要増加といった商機が生まれる可能性も考えられます。自社の自然依存・影響から生じるリスクと機会を洗い出すことが重要です。
これは気候と自然の相互作用を問うものです。たとえば、自社が森林資源に依存しているなら気候変動による森林火災リスクを考慮する必要がありますし、逆に自社の活動による森林破壊が温室効果ガス排出や気候悪化を招いていないかにも目を向ける必要があります。気候変動対策と自然保全を統合的に捉えることで、リスク管理や持続可能戦略の抜け漏れを防ぐねらいがあります。
最初のテーマの質問群(ガイドでは質問1~4)は、このように 「自社と自然のつながり全体を俯瞰する」 基礎的な問いです。これによって、まず経営陣・取締役が自社の現状を正しく把握することが出発点となります。
次のテーマは、「自然に関する考慮を企業の意思決定プロセスに組み込む」ことです。
せっかく自然に関する情報を把握しても、それを経営に活かさなければ意味がありません。
そこでガイドの質問5~7では、社内での評価・対応の体制づくりについて問われています。
ビジネスにとって何が「重要な(重大な)自然関連リスク・機会」なのかを定量・定性的に評価する仕組みが必要です。例えば製造業であれば、自社工場やサプライチェーンでの水使用量や森林減少のモニタリング、環境影響評価の実施などが考えられます。IT企業でもデータセンターのエネルギー源や水冷却システムの環境負荷を測定しているでしょうか。こうしたデータを集め分析することで、初めて適切な経営判断が下せます。
自社だけで完結せず、広く利害関係者の声に耳を傾ける姿勢も問われます。例えば食品会社であれば農家や原料供給者と話し合って持続可能な調達方法を模索したり、製造業であれば工場周辺の地域住民や自治体の意見を聞いて環境影響を評価するといった取り組みです。銀行など金融業なら融資先企業に対し自然環境への配慮状況をヒアリングすることも該当するでしょう。さらに、先住民や地域コミュニティなど自然と深く関わる人々から学ぶことで、自社の知らなかったリスクや課題が見えてくることもあります。
これはガバナンスや経営管理の視点です。日々のオペレーションから中長期の事業計画に至るまで、自然環境への配慮が組み込まれているかを問いかけます。例えば新規事業の立ち上げ時に環境影響評価を必ず行っているか、設備投資の判断に気候・自然リスクを織り込んでいるか、経営計画に環境目標(例:2030年までに森林破壊ゼロなど)を明示しているか――こうした点を振り返るきっかけになります。環境対応を単発の施策ではなく企業文化や意思決定フローに組み込むことで、継続的な改善と適応が可能になります。
要するに、このセクションの質問群は 「自然への配慮を企業内部の仕組みに落とし込めているか」 を点検するものです。測定・データ、ステークホルダー対話、経営判断への統合という3つの側面から、自社の取り組みを振り返ることで抜け落ちを防ぎます。
第三のテーマは、「自社を取り巻く外部環境の変化に目を配り、先手を打てているか」という視点です。自然に関するビジネスリスクは自社内部だけでなく、業界全体の動向やルールの変化とも深く関わっています。ガイドの質問8と9は、こうした 市場環境や規制動向 に関する問いです。
自社の属する業界や進出市場において、自然に関する認識が今後どう進化するか を考える必要があります。例えば、これまで当たり前に使われてきたプラスチックや紙資源について、環境意識の高まりから代替素材への転換が求められるかもしれません。
あるいは、林業や食品産業では 「ネイチャーポジティブ(2030年までに自然損失を逆転させる)」 といった目標が掲げられる中、業界標準が大きく変わる可能性があります。自社が事業展開する地域で水不足や森林火災など環境の変化が予測されるなら、市場ニーズや事業リスクも将来変わるでしょう。こうした 将来予測やトレンドの変化 を見据えて戦略を柔軟にアップデートしていくことが求められます。
こちらは 法規制や基準への適応 についての問いです。世界各地で環境関連のルールが強化されています。
たとえばEUでは企業に生物多様性への影響情報の開示を求める動きがあり、金融機関にも自然関連リスクの管理が求められつつあります。また日本でも生物多様性国家戦略や関連法整備が進み、企業に求められる対応水準が上がる可能性があります。投資家の側もESG投資の文脈で「自然資本」への対応に注目しており、「森林破壊ゼロの調達方針はあるか」「水リスクへの対策は十分か」など厳しい目が向けられています。
取締役会として、こうした 規制やステークホルダーの期待の変化を常に把握し、自社の対応状況を点検する ことが重要です。
このテーマはつまり 「外部の潮流に乗り遅れていないか」 を問うものです。環境をめぐるルールや常識は数年で様変わりすることもあります。先を読む力と適応力こそが、将来の生存競争を勝ち抜く鍵と言えるでしょう。
最後のテーマは、「自社内の体制や人材は自然関連課題に対応できるよう整っているか」という内部体制の視点と、取締役自身の責任意識です。
優れた戦略も担う人次第。
質問10~12では組織の能力とボードメンバーの責任について掘り下げています。
専門知識を持つ人材の配置や、既存メンバーへの教育が問われますr。例えば環境科学のバックグラウンドを持つ人材をチームに迎え入れたり、役員向けの研修で最新の自然関連知見をアップデートする取り組みが考えられます。気候変動についてはCSR部門やサステナビリティ担当役員がいる企業も増えましたが、生物多様性に関しても同様に専門性を持った人材が必要かもしれません。「自社にはそこまでの知見がない」という場合でも、外部の専門家の意見を定期的に聞く仕組みを作るなどして対応できます。
個人の熱意や属人的な対応に頼るのではなく、組織として自然関連課題に取り組む体制づくりが重要です。
ある担当者だけが詳しい状況ではその人が異動・退職すれば知識が失われてしまいます。そうではなく、社内規程や評価制度に環境目標を組み込んだり、部署横断のワーキンググループでノウハウを共有するなど、知識の蓄積と継承を図る工夫が求められます。またPDCAサイクルを回して定期的に目標達成度をチェックし、学びを次の戦略に反映させることも大切です。
これは取締役へのセルフチェック的な問いです。
取締役には会社の持続的な発展に責任を負う「忠実義務」や「注意義務」がありますが、近年その範囲に環境・自然に関するリスク管理も含まれるとの見解が強まっています。簡単に言えば、「重大な環境リスクを放置すれば法的責任を問われかねない」ということです。
実際、海外では企業が自然破壊や環境事故で訴訟に直面するケースも増えており、株主から取締役の対応不足が批判される可能性もあります。取締役会として、自社が各国の環境関連法規にしっかり適合しているか、リスクへの備えは万全かを定期的に確認することが求められます。「自分たちは法的義務を果たしていると胸を張って言えるだろうか?」と自問することで、見落としがないか振り返る狙いです。
このテーマは 「組織としての備えと、取締役自身の責任意識」 を点検するものです。知識や体制が不足していると感じれば早急に強化策を講じる必要がありますし、責任を他人任せにせずボード自ら主体的に関与する姿勢が重要だと気付かされます。
TNFDのガイド『Asking Better Questions on Nature』は、以上のような切り口から企業経営と自然との関係を問い直すものです。
最初はピンと来なかった人も、具体的な質問事項を見て「なるほど、自社には考慮漏れがあったかもしれない」と感じたのではないでしょうか。
ビジネスの強さ(レジリエンス)は自然環境の健全さにかかっている──ガイドが伝えるメッセージは一貫してこの点にあります。
事実、自然環境が損なわれれば企業業績に打撃が及ぶ例は今や珍しくなく、逆に自然を守る取り組みが新たな競争力になる時代が来ています。
ぜひこのガイドの観点をヒントに、自社のビジネスと自然のつながりに目を向けてみてください。気候変動だけでなく「自然資本」という新しい視点を持つことで、企業の将来像が違って見えてくるかもしれません。そして何より、より良い問いを持つことが、より良い答えと持続可能な未来への第一歩となる——私たちはそう考えております。
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今週もお読みいただき、ありがとうございました。
それではまた、次週のブログで。
執筆担当:川上 佳子
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。