このブログでも何度か話題に挙げさせていただいた、DIC株式会社さんの川村記念美術館の件。昨年(2024年)末の段階で「適切な規模と場所で美術館運営を継続することが好ましい貢献活動」との結論から東京都内への移転・規模縮小という方針になっていましたが、いよいよ移転先が決定したようです。
DIC(4631.T)は12日、東京都内に適切な移転候補先を見つけるとしていた川村記念美術館(千葉県佐倉市)の一部作品を国際文化会館(東京都港区)に移転すると発表した。抽象画で知られるマーク・ロスコ氏の所蔵壁画を移設するほか、戦後の米国美術を中心とする20世紀美術品の移転を検討していく。
(出典:ロイター「DIC、川村記念美術館の作品を国際文化会館に移転へ」、2025年3月12日)
本日のブログは、(大変僭越ではございますが…)この件についてDICさんではIRとサステナビリティ、それぞれのコミュニケーションとしてどのように説明していくとよいのだろうか?という点について考察してみたいと思います。
同美術館の象徴とも言えるマーク・ロスコの「シーグラム壁画」7点については売却せず国際文化会館新館の常設展示室「ロスコ・ルーム」に移設され、引き続き公開される*1 とのことです(早くも開館が楽しみになってきました…!)。
(ロスコ・ルームについては、DICさんのリリースにより詳しく記載されています)
その他の所蔵美術品については昨年末の段階で
所蔵美術品の約3/4を売却し、2025年中に少なくとも100億円規模の現金収入を得る計画を示しています。売却収入は株主還元や成長投資に充て、美術館関連費用にも充当する方針です。
(出典:日経電子版「DIC、川村美術館を都内に移転 作品数を4分の1に削減」2024年12月26日)
との報道が出ていました。
そして佐倉市にある現美術館については「25年4月から休館し、地域住民による庭園や周辺施設の継続的利用などの可能性を市と協議していく」*2 とのことで、地元への配慮もなされた形となりました。
では、こうした方針と取り組みについて、IRおよびサステナビリティのコミュニケーションではどのように伝えていけばよいのでしょうか。
DICさんによる美術館運営見直しの背景には、企業価値向上と資本効率改善への強いプレッシャーがありました。実際、2023年末に香港のアクティビストファンドであるオアシス・マネジメントが同社株式の約6.9%を取得し、その後2024年10月には保有比率を11.53%まで高めています。
オアシスは同社に対し「美術品を売却して利益が出る事業に集中すべき」と要求し、美術館縮小程度では不十分との姿勢を示しました。こうした株主の声に応える形で、DICは社外有識者からなる価値共創委員会を設置し(2024年4月)、美術館を含む資産の活用策を議論してきた経緯があります。
その結果、「美術館の現状維持は難しい」という助言を受け*3、
同社は、保有資産の大規模な圧縮と運営コスト削減による資本効率の向上策を打ち出しました。
こうした背景を踏まえ、同社のIR担当者様が株主に説明すべき重要ポイントは、今回の決定が企業価値の最大化戦略の一環であることでしょう。まず、美術館の土地・建物や所蔵品(簿価総額112億円)といった遊休資産を見直し、得られる現金(少なくとも100億円以上)を株主還元(配当・自社株買いなど)や本業の成長投資に充当する計画を強調できます。これは資本コストを意識した経営への転換であり、ROAや株主価値の改善につながると論じられます。(実際、同社は、美術品売却益を段階的に株主還元に振り向ける方針を明確にしておられます)
また、今後の美術館運営は公共性の高い団体(国際文化会館)との共同運営とすることで、同社様単独で抱えていたコスト負担を軽減し、収支改善を図る点も訴求ポイントとなりそうです。東京への移転はアクセス向上による集客増効果も見込め、残存する美術館事業の赤字縮小につながる合理的判断と説明できます。
このように、IRの文脈では、本施策を「不要不急の資産を売却し得たリソースをコア事業と株主に振り向ける財務戦略上の最適化」であると位置付け、株主の理解を得ることが肝要です。
今回、同社はロスコの壁画など一部重要作品は手放さない判断をされましたが、これにはついて株主・投資家から「中途半端だ」との批判が出る可能性もあります。しかしIR上は「重要資産の選別と集中」として正当化できるのではないでしょうか。
具体的には、「ロスコの壁画は唯一無二であり、将来的な資産価値の伸長も見込めるうえ、企業ブランドを高める戦略的資産」と位置づけます。むしろ安易に手放すより、適切に保存・活用する方が長期的な企業価値に資するとの論理展開です。
また、美術品市場の動向にも触れ、近年抽象絵画の価値が国際的に高騰していることから、残す作品の選択は慎重に行い高値売却による利益最大化を図っていると説明すれば、株主も一定の納得を得られるでしょう。
大切なのは、「収益に直結しない資産は大胆に圧縮する一方、企業価値向上に資すると判断した資産は保持し活用する」というメリハリの効いた戦略であると伝えることです。
一方、サステナビリティ(CSR・ESG)の観点では、文化・芸術支援を続けてきた企業としての社会的責任と説明が求められます。DIC川村記念美術館は1990年開館以来、20世紀美術を中心とした優れたコレクションを一般公開し、「地域に愛される美術館」として企業メセナ協議会から表彰された実績もあります。
こうした文化貢献の歴史を一度に終わらせることは、地域社会や文化関係者から「企業の社会的責任放棄」と受け取られかねません。実際、「企業の社会的貢献は、美術品を見せることではなく配当で富を再分配することだ」という投資家の声に対し、「企業メセナ事業が縮小すれば日本の文化水準の低下につながるのではないか」との懸念もあります。
こうした点も鑑み、サステナビリティ担当者様としては、経済的価値の追求と社会的価値の提供を両立させるストーリーを描いていくのが良いでしょう。
サステナビリティの文脈でまず強調したいのは、本件が単なる美術館の閉鎖・清算でなく、持続可能な文化支援の形へと転換する選択をしたことだと私は考えております。
同社は、東京都心への移転によって「現在よりも多くの方々に(コレクションを)鑑賞いただける*4」機会創出を図ると説明しておられます。実際、今回発表のあった「六本木」は、アクセスの悪かった佐倉から文化インフラの整った(しかも周りに美術館も多い)地域へと移転することで、結果的に文化恩恵の裾野拡大につながるとアピールできます。
また、国際文化会館という公共性の高いパートナーと組み、著名建築家ユニットであるSANAA設計の新施設にコレクションを移設する計画は、企業の枠を超えた社会貢献への意欲を示すものです。これにより、美術館は単なる社内プロジェクトから公共財的な存在へと生まれ変わるものです。そして同社も引き続き支援者として関与する姿勢を示しておられます。
これらを「持続可能な文化支援の形への転換」と説明することは難しくないでしょう。
美術品売却にあたって、同社は倫理と透明性に最大限配慮する方針を表明しています。具体的には、全国美術館会議の「美術館の原則」やICOM(国際博物館会議)の倫理規程を遵守し、関係者への配慮と公共性確保を約束されています。また、特に重要作品については、たとえ売却しても一般公開が継続されるよう努めるとしています*4。
このようにプロセスの透明性と文化的価値の継承を重視する姿勢は、社会からの批判を和らげ、企業の誠実さを示すものです。「持続可能な形で文化財を次世代に引き継ぐ」というメッセージを発信し、単なる営利目的の売却ではないと強調することは、特にサステナビリティ文脈において重要です。
上でもすでに述べましたが、今回、佐倉市の現美術館については「閉館後も庭園や周辺施設を地域住民が継続利用できる可能性を行政と協議する」と表明されています。
実際、同社は地元から寄せられた要望を受け、休館後の施設活用について佐倉市など関係者と協議を続ける考えを示し続けてきました*4。
このようなコミュニティへの配慮は、「利益優先で地域を切り捨てた」と思われないための重要なコミュニケーションです。サステナビリティ担当者は、「地域社会への感謝と敬意から、可能な限り地域資源を残し、活用策を模索する」という姿勢を丁寧に説明することが肝要と言えそうです。
DIC川村記念美術館の移転・美術品売却を巡る意思決定は、企業経営における経済的合理性と社会的責任のバランスを問う象徴的なケースとなりました。
IRの観点では、資本効率向上策として株主に明確なメリット(遊休資産の現金化と株主還元)を示しつつ、慎重な資産選別で長期的企業価値も守る方針であると説明できます。一方サステナビリティの観点では、企業が培ってきた文化貢献を時代に合わせてアップデートする取り組みとして位置づけ、より多くの人々への文化提供や公共団体との協働による社会価値の創出を強調するとよいでしょう。
2つのメッセージは一見異なるベクトルを向いていますが、「企業価値(経済的価値)と社会価値の双方を高めるための最適解」というストーリーで統合できます。株主にも社会にも誠実に語りかけるコミュニケーション戦略によって、同社さんは、この変革を企業価値向上とブランドレピュテーション向上の両面につなげていくことが可能になるのではないでしょうか。
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それではまた、次回のブログで。
執筆担当:川上 佳子
*1 出典:DIC川村記念美術館・2025年3月12日付リリース「DIC株式会社と国際文化会館が アート・建築分野での協業に合意」
*2 出典:ロイター「DIC、川村記念美術館の作品を国際文化会館に移転へ」、2025年3月12日
*3 出典:DIC株式会社リリース『価値共創委員会による「美術館運営」に関する助言並びにそれに対する当社取締役会の協議内容と今後の対応についての中間報告』2024年8月27日
*4 出典:TOKYO ART BEAT 『DIC川村記念美術館が「縮小・移転」の最終的な方針を発表。作品は3/4売却し100億円のキャッシュイン目指す』(2024年12月27日)
代表取締役 福島 隆史
公認会計士。2008年、SusTBを設立。企業の自主的かつ健全な情報開示をサポート。
川上 佳子
中小企業診断士。銀行、シンクタンク勤務を経て2002年より上場企業の情報開示を支援。